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act.2追憶プレリュード<78>
* * * * * *
「あの、すみません。一人でも大丈夫です」
奈央の傍から離れるなり無言になった未里を気遣って葵はそう声を掛けてみるが、返ってきたのは口角を少し上げた微笑みだけだった。
彼はあくまで奈央から与えられたミッションを遂行するつもりらしい。葵とは一定の距離を保ちながらも、別館までの道のりを先導してくれる。
「もうこの辺で、ほんとに…」
別館へと繋がる渡り廊下に差し掛かった頃、葵はもう一度未里の背中に呼びかける。すると今度はきちんと葵を振り返り、その両手を差し出してきた。
「じゃあもういいですよね?」
「……え?あの、何が、ですか?」
未里の手や言葉が、何を示しているのか分からず、葵は素直に問いかけるが、返ってきたのは少々荒っぽい行動だった。
「あッ…ちょ」
グイと未里が引っ張るのは、奈央から借りたカーディガン。それを脱がせようとしてくる手に葵が思わず抵抗してしまうと、未里から笑顔がなくなった。
「もう着いたんだから、奈央さまの服、借りなくてもいいんじゃないですか?」
「え?あ、そうですね…すみません」
「僕から返しておくから」
そう言ってもう一度手を差し伸べた未里に、今度は葵も大人しくカーディガンを脱いでその手に載せる。代わりに、とばかりに未里が預かっていたびしょ濡れのブレザーを押し付けられた。
「葵さんっていつもそうなんですか?」
「そう、というと…?」
「何かあると周りが何でも解決してくれるじゃないですか。さっきだってそう」
未里はまた表情に笑みを携えだしたが、発する言葉には鈍い葵でも分かるぐらい棘があった。
「沢山の人に守ってもらうのが当たり前なんて、葵さんは幸せですね」
丸い目を薄めて笑う未里の言葉に、葵は思わず自分の体を抱きしめるような仕草と共に下を向いた。
自分は彼にとっては幸せに見えているらしい。”幸せになってはいけない”、そう思い込んできた節がある葵にとって、その言葉は複雑な感情を呼び起こさせる。シャツの袖下に潜む腕の傷跡もズキンと痛みだした。
「あ、羨ましいなぁって意味ですよ?未里には守ってくれるような人なんて一人も居ないけど、葵さんは沢山居るから」
確かに自分のことを大事に思ってくれる人が周りに居てくれる自覚はある。でも初めからそんな環境に居たわけでは決してない。今は愛してくれる人がいる奇異な髪色も、幼い頃は侮蔑の対象だった。
「可愛くて、勉強も出来て、性格もおっとりしてて、皆に愛されて」
ゆっくりと並べ立てられる賛辞と共に未里が手を伸ばしてそっと、葵の髪を一房掴んできた。乱暴な動きではなく、ただ触れるだけではあるが、未里の意図が分からなくて葵はビクリと体を跳ねさせる。
「でもね、葵さん気をつけて」
容姿によく合う高めの声で未里は甘ったるく語りかけてくる。掴まれた一房の髪も声に合わせて柔らかく引っ張られた。
「非の打ち所がない位幸せに見える人を妬む人間っているんですよ」
「……妬む?」
誰かに羨ましがられたり、妬まれたり。そんなものとは無縁だと思っていた葵は思わず聞き返してしまう。欠点だらけだと、自分ではそう評価しているからだ。
「ええ、そして妬みは段々憎しみに変わります」
今までで一番愛らしい笑顔を向けてきたというのに、共に投げかけられる”憎しみ”という単語は葵の背筋を凍らせるほど恐ろしい。
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