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act.2追憶プレリュード<80>
「葵ちゃん、放っておきな」
結局未里から与えられた棘のある発言の意図が分からないまま胸にもやもやとしたものが残った葵は、彼の背中が廊下の先に消えていくのを見守ろうとしたのだが、強制的に櫻に館内へと連行されてしまう。
「経緯は奈央から聞いたけど、自分のファン付き添わせるなんてお人好しっていうか危機感ないっていうか」
別館のエントランス正面にあるエレベーターに乗り込むと、櫻がそんなことを言い始める。
葵に対して、というよりも奈央への文句のようだ。葵は何と返したらよいか分からず、ただ彫刻のように美しく整った櫻の横顔を見上げるだけに留める。
目的の階に到着すると、櫻もようやく葵を見つめ返してくれた。
「葵ちゃんもだよ?」
「へ?なんですか?」
「だから、葵ちゃんも、危機感がなさすぎる。そういうとこが可愛いんだけど、いつも守ってあげられるわけじゃないんだから」
そういって櫻は葵の額をピンと小突いてくる。生徒会の書類の入力をミスしてしまった時に”お仕置き”といって泣くまで葵を苛める時と比べると、その手つきは随分と優しい。
だから葵は思わず表情を緩ませてしまったが、櫻と、そして先程の未里の台詞が重なってまた複雑な気持ちが蘇る。
「僕も、皆を守れるようになりたいです」
気持ちを言葉として表現することは難しいけれど、これだけは伝えておきたい。
“守ってもらうのが当たり前”
“誰かがいつも葵の盾になっている”
未里からの非難にも似た指摘は葵の心をささくれ立たせる。自分を大切にしてくれている人たちを、自分だって精一杯大切にしたい。もう二度と大事な存在を失いたくなどない。
その気持は嘘偽りないものだが、実現できているかと問われると自信は全く無かった。
「守るって、葵ちゃんが?」
櫻は葵の突然の意思表明に拍子抜けしたような声を出した。
それもそのはず。男性にしてはかなり華奢な部類に入る櫻よりも、葵は更に十センチ以上小さい。”守る”なんて葵の口から出るには不似合いすぎた。
「もっと大きくなって、力も強くなって…とにかく、頑張るんです」
おかしそうに笑う櫻に対して、葵はいたって真面目に宣言を続けた。
自分が変わらなければ、いつか周りに愛想を尽かされてしまうんじゃないか。そんな不安がじわじわとこみ上げてきたから、それを払拭したかったのかもしれない。
櫻も葵が冗談でそんなことを言い出したのではないと察してくれたのだろう。笑顔を引っ込めて、そしてもう一度葵の額を小突く。
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