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act.2追憶プレリュード<100>
「あぁすみません、葵先輩。俺も、行きますね」
聖は気まずそうに葵にそうして声を掛けると、同じくその場から走って遠ざかっていってしまった。でも聖が爽とは全く別方向に向かってしまったのだから、事態は簡単には解決しないような予感を生ませてしまう。
「また泣いて。ほんとに泣き虫なんだから」
「お前もよくよく面倒な奴に好かれるな」
「それって忍、自分のことも含めてるわけ?」
「馬鹿な。俺しかまともな選択肢がない、と言っているんだ」
双子の背中を見つめながらぽろぽろと葵の頬に涙が伝うのを見つけた櫻、そして忍がまた新たに口論を始めてしまう。
それこそが日常で、二人の間にはさきほどの双子のような刺々しい空気は微塵もないが、今この流れで行うのは少々デリカシーがなさすぎる。
「葵くん、仕事がんばれる?」
奈央が少し身を屈めて葵に問えば、袖口で涙を拭きながらコクリと小さな頷きが返ってきた。まるで小さな子供のような仕草が健気でたまらない。
その袖口からちらりと真新しい包帯の端が見え隠れするから余計だ。
「よし、じゃあがんばろう」
指通りの良い柔らかな髪を撫でてやりながら促せば、葵がぎゅっとその腕にしがみついてきた。
「奈央さん、居なくならないで」
「大丈夫、ずっと一緒に居るよ」
たまに葵が垣間見せるこうした甘えたがりな一面。でも奈央はそれがただ子供らしさの延長ではないことを昨夜知った。
嫌われること、そして自分の元から人が去ることを何よりも葵は恐れている。だから双子が目の前で繰り広げた喧嘩も葵の心に大きなダメージを与えてしまっているはずだった。
「葵ちゃん、僕にもぎゅってして、ほら」
奈央が葵に抱きつかれているのを見咎めた櫻が負けじと手を広げて待ち構えれば、葵はしっかりと櫻にも飛びかかる。
高飛車で自分の欲望に忠実な女王様体質に見えて、櫻も葵のそうした繊細すぎる一面に気が付いているようだ。
「大丈夫、葵ちゃんが嫌って言ったって離してあげないんだから。安心しなさい」
落ち着けるように葵の髪を、背中を撫でる手つきはガラス細工を扱うかのように慎重で優しい。
「急いでいると言っているだろう?ほら、行くぞ葵」
そして、自分からは抱きついてほしいなんて素直に言えない忍は、櫻の腕から強制的に葵を抱き上げる、という手段で目的を叶えてみせた。
抱えられた葵はもちろん忍のことも離したくない、と言いたげにきつく抱きついた。計算高い生徒会長の思惑通りである。
葵がまだ”皆と居ること”を求めているのだから仕方ない。早く自分だけを求めるようになってほしい。そんな願いはひとまず胸の奥に仕舞い込める辺り、聖と爽よりは二年先輩の彼らのほうが”オトナ”であると言えるだろう。
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