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act.2追憶プレリュード<113>
「……ごめんなさい」
「謝られても困る。何に対しての謝罪だ?別に責めているつもりはない」
せっかくの二人だけの時間で、葵に謝らせてばかりいる。こんな時には、櫻曰く”偉そうな物言い”が染み付いてしまっていることが悔やまれた。
きっとまた忍が怒っていると勘違いして怯えさせてしまったのだろう。だから忍は今すぐに呼んでもらうという願望は押さえ込み、なだめるように柔らかな髪を撫でて告げる。
「今夜期待しているよ、葵」
するとようやく葵は顔を上げてくれた。忍はそれを了承と受け取って褒めるように葵の唇を奪ったが、そのせいで葵の指先の震えが更に酷くなったことに気が付くことが出来なかった。
一度は血の気の失せた葵の頬も、長いキスのおかげで、忍が唇を離す頃には強制的に色付けされて誤魔化されてしまっている。
「……残念、戻ってこいとクイーンがお怒りだ」
キスを妨げたのは櫻からの猛烈な着信。ブレザーのポケットから伝わる振動を最初は無視していたものの、あまりのしつこさに限界が来たのだ。
「ん?どうした葵?」
「あ、あの……やっぱり、夜は」
「駄目だ。来ないならこちらから行くからな?」
今更、夜を共に過ごすという約束を反故にされても困る。それすら照れの一種だと受け取った忍は自分の膝の上で俯いてしまう葵にまた、愛しさを溢れさせた。
本当ならもう少しこのまま二人の時間を満喫したいが、ストレスの溜まった櫻がその捌け口として葵を求めるのは十分予想がつく。
夜の楽しみを邪魔されないためにも、今はここで引いておくのが吉。
少しも動こうとしない葵をそのまま抱き上げた忍は、せめてこの迷路を抜けるまではずっと葵を抱き締めていようと勝手に思い立つ。
遠慮がちに抱き返してきた葵が一体どんな表情をしているか。それを忍が目にしていれば、きっとすぐに足を止めたはずだった。
けれど葵が自身の動揺を隠すように忍の肩口に顔を埋めてしまうから、忍にそれを知る術は無くなってしまう。
軌道修正出来ていたかのように見えた葵の心の歯車は、また少しずつ、確実に軋み始めていく。それを如実に示す虚ろな瞳と、青ざめた顔。
忍がそれに気が付いたのは迷路の出口に到着し、合流した櫻と奈央に指摘されてからだった。
いつから葵がその状態だったのか。二人に問われた忍は何も答えることが出来なかった。表情こそ伺うことが出来なかったが、迷路を通り抜ける間、普段通りの会話をしていたのだ。気が付けるわけがなかった。
だから、昨夜からの体調不良に今日の氷水を浴びた件が重なって一気に体調を崩した。誰もがそう判断したのは無理もない。
仕事を最後までこなそうと嫌がる葵を強引に別館に連れ戻した頃には、もう西の空が少しずつ茜色に染まり始めていた。
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