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act.2追憶プレリュード<115>

「これ……ねこ?」 腕の内側にあたる部分に黒のマジックで猫のイラストが描かれていたのだ。もしかして、と葵が反対の腕の袖をめくればそこには犬がいる。 このイラストには見覚えがあった。 中学から親しくしている友人、七瀬がたまに真面目に勉強する葵を邪魔するように教科書やノートにこんな落書きをしてくるのだ。七瀬曰く、葵の傍に控える都古と京介をそれぞれ猫と犬に例えているらしい。 無機質な包帯に不似合いな可愛らしいイラスト。それは友人からの励ましのように思えて、さっきまであんなに騒がしかった胸の鼓動が落ち着きを取り戻してくれる。 包帯を取ればこの猫と犬をバラバラにしてしまう。だから葵はそれをめくってまで露わになる肌を噛もうという気持ちも萎んでいく。 「七ちゃん」 いつも明るく元気な友人の名を呼べば自然と強張っていた体からも力が抜けていった。きっと七瀬がこの落書きをしたことを、いつも隣にいる綾瀬は苦笑いをしながら叱っただろう。 そんな友人たちの様子が目に浮かんで、無性に彼らに会いたくなってくる。 でも葵が布団から抜け出ようとベッドから足を下ろそうとした時、部屋の扉が開く音が響いた。 「あれ葵くん?起きた?」 現れたのは奈央だった。起き上がっている葵に多少驚いているようだったが、普段と変わらない穏やかな微笑みを携えている。 「そろそろ一度起こそうと思ってたんだ。解熱剤、飲んだほうが良いかなって。あ、でもその前に何か食べられそう?」 ベッドサイドに歩み寄ってきた奈央の手には確かに包みに入ったカプセル状の薬が乗っている。そして反対の手には葵のマグカップが握られている。 「馬鹿の一つ覚えみたいで恥ずかしいんだけど、ココア気に入ってくれてたから。寝起きでは無理かな?」 少し照れくさそうに差し出してくれたマグカップからは確かにココアの甘い香りが立ち上っている。ひたすら優しく寄り添ってくれる奈央が大好きで、葵から手を伸ばしてそのカップを受け取った。 「ありがとうございます、飲みたいです」 「そう?良かった。でも無茶はしないでね」 適温に冷まされたココアを口に含むとじんわりと甘さが体に染みてくる。それが何とも言えない感情を呼び起こさせてまた、ほろりと涙が頬を伝ってしまった。

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