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act.2追憶プレリュード<118>
「んな顔して。大丈夫やって、奈央ちゃんすぐ帰ってくるから」
葵の思いを見透かしたのか、幸樹がそう言って笑いかけてくれる。相変わらず飽きずに頬をツンツンと突いて来るが、その手つきは優しい。
「りんご来るまでお布団入ってる?」
ポンポンとベッドを叩いて示してくれるが、葵は首を横に振った。せっかく来てくれた幸樹とちゃんと向き合って話したかったからだ。
「じゃお兄さんが布団になろっか。おいで藤沢ちゃん」
今度は葵の隣に腰掛けた幸樹が自分の膝の上に招いてくる。葵もその誘いには乗ることにした。
京介よりも更に長身の幸樹の腕の中にすっぽりと収まれば全身に広がるのは安心感。
背中から覆い被さるようにぎゅっと抱き締められると幸樹の短い金髪が首筋に当たってくすぐったいが、逃れたくなくて葵からもウエストに回ってくる彼の腕に自分の手を重ねた。
「ほんまは、藤沢ちゃんがもう少し元気そうやったらデート誘おって思ったんやけど。さすがに無理そうやな」
幸樹の言葉で、葵は初日に交わした約束を思い出した。歓迎会に参加する代わりに空き時間でデートする予定だった。昨晩も別れ際にそう言い残されていたのに、倒れてしまったせいで守ることが出来なかった。
「ごめんなさい、約束、してたのに」
「ああ、ちゃうちゃう。そんな顔せんといて」
仕事をこなせないばかりか幸樹の願いすら叶えることが出来ない自分にほとほと嫌気がさしてしまう。
「あの、しますか?」
だから葵はついこんなことを口にしてしまった。当然幸樹は面食らったように顔を覗き込んでくる。
「え?何、これから?もう夜やで?」
「はい、でも夜のお散歩も楽しいですよ、きっと」
言いかけたからには葵も本気でこれから幸樹と出掛けることを提案した。誘いを受けた幸樹はしばらく迷うように唸ったが、ぎゅっと一度強く葵を抱きしめるとまたあの笑顔を見せてくれた。
「ほな、秘密のデートしましょうか?ちっこいお姫様」
“ちいさい”は葵にとっては余計だけれど、恭しく手を取られ甲にキスを落とされて囁かれるのは正式なお誘い。だから葵も大きく頷いてそれに答えた。
「けど熱出てる藤沢ちゃんに無理さすのは嫌やから、だっこな?」
「え、ずっとですか?」
「そ。だっこが嫌やったら行かん。どう?」
ベッドから降りて自分の靴を探そうとした葵に幸樹はそんな条件を持ちかけてきた。幸樹が持ってきてくれた絵本を胸に抱いて、大判のブランケットを肩に掛け、あとは出掛けるだけの状態だったのに、その条件は葵を困らせる。
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