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act.2追憶プレリュード<131>
“アオイ”
滅多に呼ばれることのない名前。こんな状況でもつい嬉しくなって彼女を見やれば、視界には尖った傘の先が目いっぱいに広がってくる。
“死んで償いなさい”
ドン、と胸に衝撃が走ると共に、押しやられた体は簡単に湖へと放り投げられた。と同時に身に纏っていた衣服に水が染み込んで、もがく暇もなく底へと引きずり込まれていく。
最期の瞬間さえ、彼女は直接触れてくれなかった。
気管に入り込む大量の冷たい水は妙に葵を冷静にさせる。
苦しい。苦しい。苦しい。
けれど、物理的な息苦しさではない。最期くらい、せめてあの美しい手に触れられたかった。そんな胸の痛みからくる苦しさだった。
それでも体は心とは裏腹に酸素を求めて大きく口を開けさせる。
「…………ッ」
吸い込んだ大量の新鮮な空気は葵を夢から覚醒させた。
瞼を開ければ、そこには夢と同じく湖が広がっているが、葵を突き落とした女性の影はない。居るのは、変わらず寝息を立てている幸樹だけ。
でもまだすぐ傍にいるのではないか、そんなことを考えて湖や辺りに広がる森へと視線を彷徨わせる。
けれどどんなに探しても居るはずがない。彼女もまた、とうの昔にこの世界から消えてしまった存在なのだ。
「雨だ」
葵が唯一見つけたのは、今ぽつぽつと空が涙を流し始めたこと。
大きな木の根元に腰を下ろしているおかげで葵も、そして葵の下で眠る幸樹もそれほど雨粒に当たらずに済んでいるが、地面は少しずつ色が変わり始めていた。
雨も葵は好きではなかった。何度も夢に見るあの日も確か雨が降っていたからだ。
まるで本当に溺れていたかのようにバクバクと鼓動を繰り返す心臓。それを押さえ込むように両手を胸に当てれば、めくれたパジャマの袖からちらりと包帯が覗いて見えた。
“死んで償いなさい”
夢の中で与えられた指示が急に思い起こされる。
自分が出来ることはそれしかないのだろうか?何度も自問自答してきたが、未だに答えが出ないまま。
だからせめてもの詫びの証として、自分の体に歯を立てる。
まだぐずぐずと夢に引きずられたままの頭では、まず包帯を取らなければ肌に到達しない、ということすら思いつかなかった。そうして最初は失敗し、柔らかな布の感触に阻まれてしまう。
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