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act.2追憶プレリュード<154>
「あーちゃん、他には?お兄ちゃんが手伝えることある?」
尋ねれば、葵はしばらく悩む素振りを見せたあと、冬耶が思いもしなかったことを口にした。
「もうちょっとだけ、ぎゅってしたい。お兄ちゃんが足りない」
「全くもう、すぐそうやって可愛いこと言うんだから」
せっかく堪えた感情を崩すようなことを言われればさすがの冬耶も兄の顔が揺らいでしまう。
葵がもし自分で愛する人を見つけたとき。その時変わらずに兄として振る舞ってあげられるよう一線を超えないことを心がけているのだが、葵自身が無自覚に煽ってくると辛いものがある。
「あとで皆にバイバイして、それで帰ろう、お家に」
「……あれ、今何時?どこ、だっけ?」
湧き上がってくる感情を振り払うように持ちかけると、大元の質問に立ち戻ってしまう。
「仕事、しなきゃ」
「だーめ。あーちゃんはお兄ちゃんと一緒に居るのが今の仕事。前年度生徒会長の接待、な?」
今がまだ歓迎会の最中でここが施設だと知った葵が慌ててベッドを抜け出ようとするのを押し留めて、適当な言葉を並べ立てる。
「え、そんな仕事あるの?」
「そうだよ、お客様はもてなさないと」
「……じゃあ、お茶、出す?」
本質的にはとてつもなく平和な思考の持ち主。あれだけ取り乱していたと言うのに、冬耶の言葉に簡単に乗せられていたって大真面目にそんな提案をしてくるのだ。
でも昨夜からまともに水分も食事も取らせていない葵に何か摂取させるにはいい機会だ。
「うん、お茶しに行こう」
葵に用意させる気はないが、ベッドから出る口実を見つけた冬耶は早速、とばかりに一足先に布団から飛び出る。
そして大きく手を広げて葵を待ち構える。
「おいで、あーちゃん」
置いていかれまい、と布団から体を起こした葵は誘われるがままに冬耶の腕の中に再び舞い戻ってきてくれた。
まだいつも通りには程遠い様子だが、首に回された手は冬耶からしっかりとくっついて離れない。
部屋を出て階下へ向かう間、冬耶は葵に見つからないよう、こっそりと手元で携帯を操作してこんなメールを送った。
“あーちゃん、上野とのお出かけのことは何にも覚えてません”
最低限の言葉を並べた相手は京介と奈央の二人。この二人にさえ伝われば、あとは必要な人間にきちんと共有される。
そして、受け取った彼らは、冬耶がわざわざ頼まなくても、それを踏まえた上で葵と接してくれるだろう。
「お兄ちゃん、奈央さんのココア美味しいんだよ」
無邪気にそんな事を教えて笑ってくれる存在が二度とこの笑顔を失わないように。
「じゃあ俺もなっちに作ってもらおう」
胸に秘めた思いを悟られないよう、冬耶は葵に最大級の笑顔を返してみせた。
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