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act.3君と星の世界へ<11>

* * * * * * 葵が無事帰宅したことで訪れた西名家の日常。遅めの夕食を終えて各々が夜の時間を気ままに過ごし始めていた。 風呂から上がった冬耶もその一人。喉の渇きを癒やすためにキッチンへと向かいながら、この後大学から山のように出されている課題に取り掛かろう、そんな事を考えていた。 けれど、キッチンを出ようとした時、同じ空間にあるリビングスペースのカーテンが揺れた気がして、思わず足を止める。 電気すら点いていない空間で、カーテンの向こうに何が居るのか。さすがの冬耶でも一瞬ドキリとさせられたが、窓に近づけばその正体がすぐに分かった。 リビングから庭にかけて設置されているウッドデッキ。そこに座り込んでいるのは冬耶がこの世で最も愛する弟だった。 葵の視線は、西名家の庭の柵を越えてその隣の邸宅へと向けられている。 建築士である陽平が建てた西名家もそこそこの大きさを誇っているが、隣家は更に二回りほど大きい。けれど、もう十年以上明かりが灯ったことがない。 無邪気に笑う表情とは打って変わって、葵がその家を見つめる眼差しは憂いを秘めている。いつもは幼く見えがちな顔立ちも、月明かりに照らされている今はその造形の美しさが際立っている。 冬耶はぼんやりと自分の世界に閉じこもる葵に声を掛けるべきか少し躊躇ったものの、自分の前に入浴したはずの彼の髪がまだ濡れていることに気が付いてこちらの世界に戻すことに決めた。 「あーちゃん」 いつからこう呼び始めたのか、冬耶自身の記憶も曖昧だ。 ただ、よくパニックに陥っていた葵を周りと同じように呼んでいては、自分の声が届きにくいかもしれない、そう感じていたことは覚えている。自分だけの呼び名で葵を呼べば、葵もすぐに声の主が冬耶だと分かってくれるはず。 今も、こう呼ぶだけで葵はすぐにこちらを振り返る前から、”お兄ちゃん”、そう返事をしてくれた。 「ちゃんと乾かさないと。風邪引くよ」 葵の隣に座りその髪に触れれば、予想以上に濡れた感触がしてきた。 「うん、後でする」 葵は葵なりに冬耶を兄と慕ってくれている。冬耶の言うことなら基本的には何でも信じて素直に答えてもくれる。だから、葵が今こうして冬耶の提案をやんわりと拒否するのは、反抗心からではない。

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