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act.3君と星の世界へ<69>

「金銭的な問題があるわけじゃない。そのぐらい、調べているんじゃないですか?」 陽平の言う通り、家計が苦しいわけではない。全国の模試でトップの成績を維持し続けていた冬耶を大学側が是非にと欲しがって学費の免除を申し出てきたのだ。やはりその背景を知っていたようで、馨はにこりと笑ってみせる。 「うちの家庭を詮索するのはやめていただきたい。貴方に心配されずとも葵はきちんと育っていますから」 「ええ、葵が成長しているのは分かっていますよ。でも可愛い息子の生活が気になるのは親として当然でしょう」 「……貴方に葵の親を名乗る資格はない!」 静まった室内に陽平の怒声が響いた。馨も陽平が我慢できなくなることを見越してあえてそのワードを出したのだろう。怒鳴られたというのに、思い通りに感情を露わにする陽平の姿を見て馨はほくそ笑んでさえいる。 二人をここまで案内した男がいつのまにかまた姿を現し、テーブルにコーヒーの注がれたカップを並べていくが、冬耶はそれに手を付ける気にはならなかった。 「陽平さん、何をそんなに怒ってるんですか?葵の父親は私。それは変えようのない真実ですよ」 馨の言う通り、血の繋がりだけを親の証明とするならば、確かに葵の父親は陽平ではなく馨だ。陽平が握りしめた拳にうっすらと血が滲み始めていた。 「私は葵を守るために日本に置いていったんです。葵に私以外の父親を作らせるためじゃない」 「守るため、だと?保身で海外に逃げた貴方がよくそんなことを」 「逃げたなんて人聞きの悪い。あのまま私が日本に残っていたらどうなっていたか、想像されたことは……?」 二人のやりとりに混ざる棘が鋭さを増してきた。 冬耶は馨が葵を置いてあの家から立ち去った日のことをよく覚えている。 馨は今でこそ藤沢家の人間としてビジネスに力を入れているが、本業は写真家だ。現在でもビジネスの合間にその顔を見せている話は冬耶も知っている。 当時の馨はアーティストとしてのほうが世界的に有名だったが、彼のその一挙一動に注目が集まっていた理由は彼の伴侶が当時圧倒的な存在感を放っていた女優だったからだろう。 そんな家庭で立て続けに起こった不幸な出来事を、マスコミが嗅ぎつけないわけがない。 家に押しかけられる前に馨は一人、葵だけをあの家に残して姿を消してしまった。置いていかれる予感に泣き叫ぶ葵に対し、最後に彼が向けたのは葵を気遣う言葉ではない。 隣家の異変に気が付いた冬耶が京介と共に門の中を覗き見たあの時、馨はただ無機質なカメラを葵に向け、シャッターを切っていた。 泣く姿すら美しいと言わんばかりに愛おしげな視線でうっとりと葵の姿をフィルムに収める馨の異常さは、幼心にはっきりと刻まれている。 そして、気が済んだ様子の馨が立ち去るのを止められなかった自分の無力さも、冬耶は何度思い返したか分からない。

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