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act.3君と星の世界へ<75>
「この間みたいに湖に飛び込むのはさすがに初めてだけど、近いことはあいつん中で癖になってて」
「近いこと?」
「飯食えなくなったり、腕噛んだり。生きることに抵抗してるように見える行動」
普段の葵からは想像がつかなかったのだろう。京介が告げると幸樹の表情に驚きの色が滲んだ。
「このままエスカレートしたらやべぇから医者連れてこうとして。そんで泣かれた」
葵を泣かす者は絶対に許さないと誓ってきたのに、自分が葵を泣かす羽目になると怒りをどこにぶつけたらいいか分からなくなる。
「でも俺はあいつから逃げない。泣かせても、その分笑わせてやりてぇから」
普段口にすることのない本音を友人に聞かせるのは気恥ずかしいが、彼にはこのまま葵から離れるという選択肢を捨て切ってほしい。それが葵の笑顔を守ることに繋がると確信しているから、一時の恥ぐらいかき捨ててやる。
「不本意だけど、あいつ、お前に懐いてるから。これ以上周りから人失う経験させたくねぇんだよ」
本当なら京介さえ居ればいい。そんなことを葵に思って欲しいが、葵にそれを望むのはまだ早い。
「藤沢ちゃん、俺の顔見て、思い出したりせんかな?それがな、怖いねん。あの時間のこと忘れられたのはそらショックやけど、でも俺の顔見て記憶蘇ってまた……」
そこまで言って幸樹は口を噤んだ。京介が本音を語った分、幸樹もいよいよ本心を打ち明けてくれる兆しを見せた。彼があの日から徹底的に葵の視界に映らないようにしていたのは、彼なりの配慮だったらしい。
「むしろ思い出させたほうがいいぐらいだけどな。今のままじゃ、お前に何かしたんじゃないかって葵が悩むだけだ」
「そうなん?」
「そうだよ。あいつ、あれから何回屋上と中庭行ってると思ってんだよ。あんま苦しませんな」
屋上も中庭も幸樹がよく出没するスポットだ。そこを覗いては悲しげな顔をする葵を、京介だってこれ以上見たくはない。
「せやけど……京介、全然連絡くれへんかったから、めちゃくちゃ怒ってるんやと思った」
「は?電話したっつーの。メールも」
「え、マジで?」
慌てて飛び起きた幸樹はテーブルに放っていた自身の携帯に目を通し始めるが、やはりそこには何の履歴も残っていないらしい。疑わしい視線を向けてくる彼に、京介は考えられうる理由を提示してやった。
「お前も湖飛び込んだんだろ。それで携帯バグったんじゃねぇの?」
「……あらま。っちゅーことは、奈央ちゃんも連絡くれてるんかな?」
「さぁ、それは分かんねぇ。心配してるとは思うけど」
あの夜、温厚なはずの奈央が幸樹を引っ叩いた姿を見ている。奈央からコンタクトを取っていたかどうかは京介も知り得ないが、役員辞退の意向を京介に伝えてきたのは彼だ。京介なら幸樹と連絡が取れるかもしれないと望みを掛けてきたことはわかっている。
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