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act.3君と星の世界へ<89>

「あーちゃん。いつも言ってるだろ?お兄ちゃんは何があってもあーちゃんの一番の味方だよ。誰のことを信じられなくなっても、お兄ちゃんのことだけは信じなさい。絶対にあーちゃんのこと傷つけないって約束するから。分かった?」 抱き締め返してくれながら、冬耶はこんなことを言ってくれる。信じていないわけではない。ただ、傷つけたくないだけだ。でもこうして黙っていることこそ、冬耶を傷つけているのかもしれない。 そう思い直して口を開こうとするが、やはり恐怖に乾ききった喉がしっかりと声を紡いでくれない。 「大丈夫、ゆっくりでいいよ。……ってその前にまずお家帰ろうか。な?」 葵の動揺を感じ取って、冬耶はそっと手を取り立ち上がらせてくれた。兄と共に帰宅する。当然のことだと思っていたのに、それすらも不安がくすぶるのはあの男のせいだ。 のろのろと歩くことしか出来ない葵を咎めるでもなく、冬耶もゆっくりと歩調を合わせて寄り添ってくれる。 「あーちゃん、元気が出るニュースがあるんだけど……知りたい?」 「元気が出るって?」 実家の最寄り駅を通り過ぎた頃、冬耶が久しぶりに口を開いたかと思えばそんな事を言ってきた。その声音は随分と悪戯っぽい。 「あれ、あーちゃんは知りたくない?」 「良い、話?」 「もちろんだよ。どうする?」 にっこりと微笑む冬耶が葵に意地悪を言ったことなど一度もない。だから葵は先を促すようにこくりと頷いた。すると冬耶は更に笑顔を深くして葵を見つめてくる。 「来月、あーちゃんの大好きな人が日本に帰ってくるよ」 誰、とは言わなかったが、葵にはすぐに分かった。大好きで大好きでたまらない人。 「本当に?だって、まだ、え、なんで?」 「一週間ぐらい休み取れるから帰国するってさ。遥もあーちゃんに早く会いたいんだって」 冬耶が告げた名はやはり葵の期待通りのものだった。前年度副会長であり、冬耶の親友でもある遥。幼い頃から葵を支えてくれた人物だ。 高等部を卒業するなり留学するという彼の見送りをしに空港に行ったものの、ゲートをくぐった後ろ姿を見てわんわんと子供のように泣きじゃくってしまった。そのぐらい恋しい相手だ。 「早く遥さんに会いたい!」 「うん、来月の話だけどな」 まだ今月も始まったばかり。それでも冬耶が教えてくれた話は葵にとってとびきり嬉しいニュースに違いなかった。遥に会えると想像しただけで、沈んでいた気持ちがじわりと温かくなる。 「あーちゃんははるちゃんに会えなくても、会えても、どっちでも泣いちゃうんだもんなぁ」 呆れたように、けれど温かく笑う冬耶の声で自分がまた涙を零していることに気が付く。本当に自分でも嫌になるくらい涙腺が緩い。でも今のは悲しい涙ではない。 「はるちゃんに会ったら話したいこと、やりたいこと、今からいっぱい考えておきな。全部叶えよう」 冬耶の言葉で、葵は早速頭の中で遥との時間を思い描く。嫌なことよりもこうして楽しいことばかりを考えていたい。きっと冬耶もそれが分かっているからそう導いてくれたのだろう。 やはり自分の兄は世界一優しい。繋いだ手に力を込めれば、スッと目を細める、いつもの笑顔で応えてくれた。

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