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act.3君と星の世界へ<93>

「俺も、したい」 「ん?何を?」 喋るのは苦手だ。だから都古は言葉の代わりに、葵の袖をめくって包帯の巻かれた手首を露わにさせる。都古の知る限り歓迎会での傷は癒え始めているはずだったが、なぜか薄く巻かれた包帯にはほんのりと血が滲んでいる。 「アオ、またした?」 「違う、してないよ。さっきちょっとギュって掴まれたから……多分、それで」 「誰に?京介?」 今度は都古が問い詰める番だ。華奢な葵を扱うには、京介は少し力が強すぎる。彼なりに気を遣っているのは都古もよく知っているが、悪意なく葵の傷口を広げてしまう可能性が全くないとは言い切れない。けれど、葵は都古の言葉を否定するように首を横に振ってくる。 「じゃ、誰?」 「知らない人」 先程までの立場がすっかり逆転してしまった。今葵は都古の詰問を避けるように目を伏せてしまうし、都古はそんな葵を簡単に許すつもりはない。包帯を解いて現れた傷口に舌を這わせ、滲んだ紅を拭い取っていく。ただ浅くかさぶたが開いただけなのか、一舐めすれば白肌に不似合いな色は薄れてくれる。 「誰?」 「ほんとに知らない人」 「なんで、掴まれた?」 「分からない」 葵は都古の問いに答えてはくれるものの、ちっとも埒が明かない。けれど、誤魔化しではなく本当に葵自身が相手の正体も、接触の理由も理解出来ていない様子だった。 見ず知らずの他人に危害を加えられたとあれば尚更都古の心配は増すばかり。危機感も警戒心もない葵は、それをあざとく嗅ぎつける人間に付け狙われることも少なくない。だからこそ、幼い頃から冬耶や京介が過保護なくらい傍から離れないでいるのだ。 「馬鹿で、ごめん」 補習にさえ引っかかっていなければ、葵の傍に居てやれていれば、きっと怖い思いなどさせなかったのに。過ぎ去ったことを悔やんでも仕方ないが、それでも自分の出来の悪い頭が情けなくて、詫びなければ気が済まない。 「どうして謝るの?みゃーちゃんのせいじゃないよ、大丈夫。それに、みゃーちゃんは馬鹿なんかじゃない」 言葉足らずな都古の意を汲んで、葵はすぐに慰めるように抱き締めてくれる。小さな体でめいっぱい都古を受け止めようとする、それだけで幸福に満たされてしまう。 まるで猫のようだと葵が髪を梳いてくれるのがたまらなく幸せで。辛い記憶しかない”烏山都古”という人格すら捨てて、ただ葵だけの猫になりたい。そんな戯言を真面目に受け入れてくれた葵だから。葵の一挙一動は都古の身に染みるほど優しい。

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