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act.3君と星の世界へ<106>

* * * * * * 水彩で描かれた夜空へ、まるで星のように浮かぶ金色の優美なフォント。ベッドサイドに置いたランプからのほのかな光に照らされたそれを指で辿りながら、葵はその言葉が紡ぐ世界に思いを馳せる。 葵が手にしているのは、買いそびれたはずの詩集だった。いつのまにか家を抜けた冬耶が買い直しに行ってくれたらしい。風呂上がりの都古と共に自室に帰ろうとした際、冬耶に呼び止められ、そしてこれを渡された。 思いがけないプレゼントに兄に飛びつくほど喜んでしまった葵。その様子を見てか、いつもべったりと甘えて離れない都古が、本を読みやすいようにと気を遣って今は葵に寄り添う程度で眠っている。だから葵もヘッドボードに重ねたクッションに背を預け、その世界にのめり込む。 だが、いつもなら現実から逃げる方法として有効な行為は、今夜はそれほど効き目がない。本屋で出会ったあのサングラスの男の台詞が気になって仕方がないのだ。 きっと歓迎会の日の朝、葵の幼い頃の写真を送りつけてきたのもあの男で間違いないのだろう。 “ママとシノブを忘れたの?” あの写真の裏に英字で書かれたメッセージも頭から離れない。自分の過去を知っているらしい男の正体も目的も見当が付かなくて怖くて仕方がなかった。蘇る恐怖に思わず体を震わせてしまえば、都古が身じろぎするのが分かった。 「ごめんみゃーちゃん。起こしちゃった?」 薄く目を開いて葵を見上げてくる猫に詫びれば、彼は一度首を横に振ると体を起こしてきた。学生鞄一つ下げてやってきた都古は当然着替えなど持ち合わせていない。冬耶が貸してやったTシャツは細身の都古には大きいのか、身動きをすると鎖骨や胸元が露わになる。 「寝ていいよ?」 「……アオ、辛い?」 肌蹴たシャツを元に戻してやりながら眠りを促せば、都古は葵の目をジッと見つめ、そんなことを問いかけてきた。いつも葵ばかり見ている都古には葵の感情の機微を感じ取ることなど造作ないらしい。 「俺が、いるよ」 拙いけれど、真っ直ぐな都古の言葉が身に染みる。言葉とともにするりと回ってきた腕に、葵からも抱きついてみせた。 それが嬉しかったのか、都古からの愛情表現が遠慮のないものになってくる。ちゅっと首筋に吸い付きながらぐりぐりと頭を擦り付けられれば、くすぐったくて仕方がない。思わず笑いそうになってしまうのを堪えていれば、都古が切れ長の瞳を薄めて尋ねてきた。 「アオ、俺じゃ、だめ?」 「ん?何が?」 「京介、居ないから…だから、寂しい?」 確かに幼馴染はあの後まだ帰宅していないようだった。それが気がかりではないと言えば嘘になる。でも葵が今切ない気持ちになっている理由は別のものだ。

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