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act.3君と星の世界へ<108>
「アオ、もう寝る?」
心地よさに思わず瞼を伏せてしまえば、都古からは気遣わしげに声が掛けられた。
考えなくてはいけないことが沢山あるはずだ。あの男から思い出せと言われたママや”シノブ”のこと、それからパパのこと。そしてあの男自身のことも考えなくてはならない。何せ”また”と宣言されているのだ。きっとその言葉通りどこかで現れるに違いない。
でも今は都古が導いてくれるように、彼の腕の中で眠りたい。
細身とは言え、きちんと筋肉のついたしなやかな都古の体は、葵をしっかり閉じ込めてくれる。本当なら甘えん坊で寂しがりな彼を抱きとめてあげられるくらい葵が大きければいいのにと思ってしまうが、葵も彼に負けず劣らず甘えん坊なのだ。
「アオ、おやすみ」
本日二度目の挨拶は都古のほうから告げられた。
都古は葵の傍にずっと居たいと言ってくれる。何があっても一緒だと、そうも誓ってくれた。でも、約束が守られないことがある現実も葵は知っている。
”ずっとお傍に居ます”
耳を掠める柔らかな声。その主が誰かは思い出せないが、幼い頃の葵はその言葉だけを確かに信じていた気がする。けれど、それは嘘だった。事実、今葵の傍に居る人物の中に、あの声の主は居ない。
あの男のせいで閉ざしていたはずの記憶が次々と断片的に現れてきて、苦しくて仕方がない。
「みゃーちゃん、ずっと傍に居て」
胸の苦しさをごまかすように都古にしがみついた葵が発したのは、飼い猫への初めての自発的な命令。都古を広い世界に連れ出さなくてはと頭では分かっていても、いつか都古があの声の主のようにおぼろげに耳に残るだけの存在に陥ってしまう日が来たら、きっともう立ち直れない。
「アオが嫌って、言っても…ね。だから、大丈夫」
葵の不安を察してか、都古はそう言って微笑んでくれる。薄くて赤い唇が緩やかな曲線を描くのは葵相手にだけ。それを知っているから微笑みを見るたびに胸がキュッと切なくなる。
思わずそっと赤い唇に指を這わせてみれば、都古は少し驚いたような顔をしたが、避けることはしない。それどころか一層笑みを深くしてこう言った。
「アオ、する?」
物欲しそうに見えたのだろう。いつもなら恥ずかしくて拒んでしまうが、今は確かに触れていたいと思う気持ちがある。だから小さく頷いてみると、ベッドの中でお互いを見つめるような横向きの姿勢へと寝かしつけられ、そして唇が重ねられた。
息が出来なくなるような激しいものではない。互いの温度を確かめるような優しいキスは、繰り返せば繰り返すほどとろとろとした安心感で満たされていく。
自然に訪れた眠気を更に促すように都古の手が背中を擦ってくるから、葵の瞼はもう上がらなくなってしまう。
「みゃ、ちゃん」
「大好き、アオ」
精一杯の呼びかけへの返事は更に葵を安堵させる。このままもう目覚めなくてもいいかもしれない。そんなことを思わせるくらい、葵は幸福な眠りに付けたのだった。
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