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act.3君と星の世界へ<110>

「葵のことは好きだよ。無垢で可愛くて、それでいて愚かだから」 「愚か?そうだね。そこは同感だ」 愛息子を愚かと表現されても、馨は気分を害すどころか楽しげに頷いてみせた。けれど椿のものとは少しニュアンスが異なる。 「パパを忘れているなんて、有り得ない。あの子の心をもう一度空っぽにして、私で埋めてあげなくちゃ」 日中訪れた陽平の言葉は、少なからず馨に不快感を与えたようだった。葵が自分を覚えていないなんて、そんなことは馨には許しがたい事実。けれど気まぐれな彼はすぐに新たな悪戯を思いついて、また笑みを宿し始める。 「ねぇ、穂高」 もう一人、この空間に控えていた人物を呼ぶ馨の声は弾んでいた。 「葵に何か贈り物をするのはどうだろう?パパが恋しくなるようなもの。何がいいと思う?」 「……分かりかねます、社長」 「今はビジネスの時間じゃない」 質問に答えないことも、自分への呼び名も気に食わなかった馨は穂高と呼んだスーツ姿の彼を咎めるように睨みつけた。 穂高の髪は鈍色にくすんでいるが、細かなウェーブがかかっているからか、重さはなく透明感があって軽やかだ。同じ色をした瞳は馨の視線を正面から一度受け止めると、真摯な会釈とともに伏せられた。 「馨様、私はお坊ちゃまが幼い頃の嗜好しか存じ上げておりません」 「それで構わないよ。だってその頃の葵が欲しいんだから」 丁寧にやり直された回答に馨は満足げな様子だが、結局のところ何を葵に贈ればいいかの結論には至らない。 「そういえば、葵が欲しがっていたものがあっただろう?ほら、春先に」 「あぁ動物園のショップで駄々こねてたやつね。葵は見た目のまんま、子供っぽいよね」 馨のひらめきに答えたのは穂高ではなく、椿だった。確かに春休みに入った頃、葵の様子を定期的に探らせている馨の使いから、葵が動物園で大きなクマのぬいぐるみを欲しがって幼馴染と揉めていたという報告が上がっていた。 「穂高、それを買ってあげて」 「……贈り先はいかがいたしましょうか?」 「確実に渡すには寮がいいかな?どうだろう?」 問われた穂高は自身で決断せず、あくまで主人である馨に判断を委ねるよう視線を送り返した。 「本当は直接渡してあげたいんだけれど。……ねぇ、私はいつまで葵を我慢すればいいの?」 子供のように瞳を輝かせていたと言うのに、そもそも葵に直接贈りものが出来ない状況に不満が芽生えてきたのだろう。馨はまた不満気に唇を尖らせてみせる。その仕草は子を持つ親には到底見えない。

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