361 / 1636

act.3君と星の世界へ<111>

「辛抱なさってください」 「穂高だって葵と早く一緒に暮らしたいでしょう?あんなに愛していたのに」 あくまで秘書らしく落ち着いた表情を崩さなかった穂高が、馨の言葉で少しだけ動揺を滲ませたが、すぐにそれを封じ込めて我儘な主人をなだめることに徹し始める。 「旦那様が仰っていたではないですか。馨様の日本でのご活躍が見えたら…と」 「もう結果は分かりきっているはずなのに。あの人は一体私の何を試したいというのだろう」 馨以外は、彼の父であり、藤沢家の当主である人物の願いを理解している。父親としても、藤沢家の跡継ぎとしても明らかに不適合だった馨を更生させること。葵という彼にとって最上級の蜜をちらつかせて、馨を藤沢家の次期代表へと成長させるよう操作しているのだ。ここで葵を与えてしまっては、馨はきっとまた同じ過ちを繰り返すだけ。 「穂高、私が会う前にあの子の瞳に映ってはいけないよ」 「はい、心得ております」 葵を簡単に手に入れられない苦しさを穂高にも強要させた馨は、真面目にその言いつけを受け入れる忠実な下僕の様子に微笑んだ。 「でも冬耶くんとは会っても構わないのに。仲が良かっただろう?どうして私の傍を離れたの?まだ理由を聞いていない」 冬耶が陽平と連れ立ってここへやって来た時、穂高はそれまでいつも通り馨の傍に控えていたというのに忽然と姿を消した。それを馨が咎めれば、穂高は少し冷たささえ感じる声音を出す。 「用が、ありませんから」 「そう?それもそうだ。穂高は賢くていい子だね、昔から」 馨は穂高の返答にますます満たされた表情を浮かべた。そしておもむろに立ち上がると、背筋を伸ばして脇に控え続ける穂高へと手を伸ばす。華奢な指先が捕らえるのは穂高の柔らかな髪。 「穂高、葵が戻ってきたら一緒に遊ばせてあげる。穂高はいい子だから特別だよ」 そう告げられて、穂高はまた少し動揺を隠しきれずに目を伏せた。馨より上背があるというのに、馨はまるで子供に対するように穂高に接する。穂高の家系、秋吉家が代々藤沢家に仕えているという背景もあるが、彼が思春期を迎える前から面倒を見続けていたのは馨だ。その態度も無理はない。 お辞儀だけを返す穂高を見て馨はもう一度微笑むと、今度はソファの上でつまらなそうに葵の写真を見続ける椿へと視線を向けた。 「椿も穂高みたいにいい子になればいいのに」 「そいつのどこがいい子なの?彼が仕えてるのは馨さんじゃない、葵でしょ。あんまり信用しないほうがいいと思うけどね」 椿は馨の言葉を受けると、写真から視線を外し、冷静な秘書の顔を取り戻した穂高を睨みつけた。睨まれた穂高も馨への屈服した様子とは異なり、椿へは少し色の強い視線を投げ返す。 「穂高が葵に忠誠を誓っていて何の問題があるの?だって葵は私のものなんだから」 二人の睨み合いを見ながら、馨はその理由がさっぱり分からないと言いたげに首を傾げる。結局のところ、穂高が馨の所有物であるという事実には変わりがないのだ。

ともだちにシェアしよう!