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act.4哀婉ドール<5>

* * * * * * 連休中、学園の寮はともかく校舎ともなれば人気は更に少なくなる。部活動を行っている生徒か、補習を受けている生徒ぐらいしか行き来していない。 その静かな校舎の廊下を葵は一人、ノートを抱えて進んでいた。 あの寄り道のあと我儘も言わず補習へと戻った都古の帰りを、本当なら寮で宿題をこなして待つ約束だった。でも途中でどうしても解けない問題が出てきてしまったのだ。先に進んで気を紛らわそうとしたが、答えが気になって仕方ない。 もしかしたら担当の教師が居るかもしれない。そんな期待を込めて職員室へと向かっている最中だった。 「……失礼します」 職員室を訪れるのは何度経験しても少し緊張してしまう。ノックをした後静かに扉を開けば、そこはやはり連休らしく教師の姿もほとんど無かった。 「おうフジ、どうした」 一番はじめに葵の存在に気が付いてくれたのは高等部の体育科の教師、熊谷だった。名前の通り熊のように大きな体をしているが、体育が苦手なだけでなく体調面でも積極的に授業に参加出来ない葵をいつでも気遣ってくれる優しい人物だ。慣れた教師の存在に、葵は緊張を解いて彼の元へと近づく。 「まさかフジが補習ってことはないだろ。生徒会か?」 「あ、いえ…分からないとこがあって」 「なに、化学?ったく真面目だなぁ」 熊谷に抱えていたノートを見せれば思い切り顔をしかめられてしまった。いつだったか、彼が学生時代体育だけが得意で学業はちっともだったと言っていたことがある。彼に尋ねるのは適切ではないだろう。 だが生憎化学担当の教師は昨日までは補習で学園に残っていたらしいが、今日から休暇に入ってしまったとのこと。 「悪いなぁフジ。俺じゃお前の力にはなれん」 男らしい宣言と共に頭を下げられれば、今度は葵が謝る番だ。運が良ければ教えてもらえるかも知れない、そんな気軽な気持ちで訪れただけなのだ。だからもう諦めて寮に戻ろう。そう思ったのだが、優しい熊谷は一つ、提案をしてきた。 「そうだ、教科は違うが、一ノ瀬先生なら分かるかもしれないな。あの人、理系なら何でも行けるらしいから」 「一ノ瀬先生?いらっしゃるんですか?」 「あぁ、朝見かけたからいると思うぞ」 一ノ瀬のことは葵も知っている。中等部で葵のクラスの生物の授業を受け持ってくれていた。高等部に入ってからは直接担当となったことはないが、それでもその存在は認識していた。 そういえば、と葵は歓迎会での出来事を思い出す。バスケ部の生徒に肩を掴まれてバランスを崩した拍子にクーラーボックスの中の冷水を浴びたあの時、その場に一ノ瀬が居たはずだ。気遣って声を掛けてくれた一ノ瀬に結局あの後礼を言えていなかった。

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