384 / 1636
act.4哀婉ドール<22>
* * * * * *
昨日と同様、もはや自分専用のようになっている音楽室へと向かおうとした櫻は赤い絨毯の敷かれたエレベーターホールを抜けた時、その場には不似合いなものが落ちていることに気が付いた。普段なら落とし物になど興味は湧かないが、そこに愛しい存在の名前が記載されていれば話は別だ。
“2-A 藤沢葵”
ノートの表紙に設けられた枠に対して控えめなサイズの文字も、少し丸みを帯びている書体も葵本人の性格を良く表している。生徒会の活動でも見慣れている字だ。しかしなぜ葵のノートがこんな場所に落ちたままになっているのか。
────葵ちゃん、居るの?
連休が明けるまできっと寮には戻ってこないと思っていたのだが、もしかしたら、そんな期待が櫻の胸に宿る。思い立てばすぐに目的地は変更となった。
役員への就任が決まり専用のフロアに移動してからほぼ足を踏み入れていなかった一般生徒用のフロア。きっとこれが連休中でなかったら、行き交う生徒たちからざわめきが起きていただろう。だが、今はほとんど生徒の姿も見えない。櫻は静かな廊下をただ、記憶している葵の部屋へと突き進んでいった。
「葵ちゃん?」
数度扉をノックして声を掛けると、少し間を空けた後、恐る恐るという言葉がぴったりなくらいゆっくりと扉が開かれた。
「櫻先輩!」
「声で分からなかったの?」
扉の隙間からひょっこり顔を覗かせた葵は訪問者が櫻だとは思わなかったらしい。目を丸くする姿に少しだけムッとしてしまう。自分の声を聞き分けられないどころか、生意気にも防犯用のチェーンを掛けているのだ。
「入っちゃダメなわけ?」
「あ、いえ、違います。すぐ開けます」
少し声を落とせば、葵は慌てて一度扉を閉め、そしてチェーンを外して扉を開け直してきた。
葵の部屋の前まで来たことはあるが、そういえば中にまで入ったことは無かったかもしれない。二人で会う時間を作りたい時はいつも京介や都古の邪魔が入らないよう、生徒会フロアの自室に連れ込んでいたのだから当然だ。
「でも驚いた。葵ちゃんに”警戒する”って頭があるなんて思わなかったから」
案内されたリビングスペースのソファに腰を下ろした櫻は、来客をもてなそうと簡易キッチンでお茶を淹れ始めた葵にそう声をかけた。
学生寮であるここは基本的に防犯チェーンなど付けられていない。しかし無防備な葵がセキュリティの整った生徒会フロアに来るのを嫌がったため、前年度会長冬耶の指示の元、一般フロアにある葵の部屋だけには特別にチェーンが設置されているのだ。本人に使う意思がなければ役には立たないだろうと櫻は踏んでいたのだが、この様子だと案外活用しているらしい。
ともだちにシェアしよう!

