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act.4哀婉ドール<35>

* * * * * *  普段の授業すら身が入らないのに、葵が同じ空間に居ないとなると尚更だ。いつもは授業を真面目に受けている葵を見て時間を過ごすのだから、どこを見て良いのかすら分からない。 でも今日はただぼんやり時が過ぎるのを待つだけの時間を邪魔する存在がいる。 「ねぇねぇ都古くん、喧嘩したの?」 それは隣の座席を陣取ってきた七瀬だ。彼もこの数学の教科は補習に引っかかったらしい。まともに黒板に向く気がないようで、形だけシャーペンを握る都古の手元を見ながら話しかけてきた。 「……別に」 「どいつ?補習組?」 「関係ない」 どうして周りは放っておいてくれないのだろうか。まだ手の甲に残る痣をブレザーの袖で隠しながら、都古はそれから授業が終わるまで七瀬の問いかけを徹底的に無視してみせた。 けれど次の授業までの短い休憩時間も七瀬は都古の後をついてくる。葵の待つ寮まで行き来する時間はないが、せめて葵と良く過ごしている中庭の風景が見える廊下まで出てきたというのに、うるさい七瀬が居ては台無しだ。 「葵ちゃん、大丈夫かな」 予想を裏切り、窓辺により掛かる都古の隣に並んできた七瀬の声のトーンはいつもの高いものではなく、少し暗ささえ感じられる。返事を言葉にせず視線だけを返せば、七瀬は茶色の巻き毛をいじりながら話し続けた。 「このあいだ一緒に水族館行ったんだけどさ、なんか様子変だったんだよね。京介っちも妙に気遣ってるし。歓迎会から葵ちゃんおかしいじゃん。何があったの?」 水族館に行ったことすら初耳だった都古にとって、その状況で葵が何を感じていたのか察することは難しい。でも七瀬の言う通り、ただでさえ不安定な葵が歓迎会を境に大きくバランスを崩しているのは分かっている。それが何によるものなのか、都古にもまだ原因は突き止められていない。 「また前の葵ちゃんに戻っちゃいそうで、怖いんだよねぇ」 「前の、って?」 七瀬は中等部からの編入組。都古よりは三年ほど葵との付き合いが長いことになる。自分の知らない葵の話が聞けるとあれば、都古は思わず声を発してしまった。だが、それを茶化すこともなく七瀬は自分が恐れる葵の過去の姿を語り始めた。 「見えるもの、聞こえるもの全部に怯えている感じ?こんな人畜無害な見た目している七のことすら怖がってたんだよ?信じられないよね、もう」 自分で自分の容姿をそう評価するのはいかがなものかと思うが、確かに七瀬は性格さえ知らなければ愛らしいと表現されるにふさわしいだろう。葵よりも体は小さいし、怯えられる要素はまずない。けれど、都古には葵のその姿が何となく想像がついた。

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