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act.4哀婉ドール<49>

“そのまま”とあえて指示してきたのだから、もしかしたら櫻は次の衣装に葵を着替えさせたいのかもしれない。だが、下着すら脱がされたままの状態で待つのはさすがに辛い。 葵はリボンや包帯と共に床に落とされていた下着に脚を通すと、部屋に入って初めて試着室の一面に張られた鏡に向き合った。この姿の自分を直視したくなくて、今までずっと視線を逸してきたのだ。 泣き腫らした目元はほんのりと紅く色づき、頬も荒い息を繰り返したせいか上気している。胸元にはいつのまにか白い肌を彩るように紅い斑点のようなものがいくつも咲いていた。丹念に舐め上げられた胸の二つの突起も、日常の着替えで目にするような色や形とは随分と変化している。 捲れたスカートの裾から覗く太ももの内側、柔らかな部分にも胸元と同じ、紅い痕が浮かんでいた。 “またこんな痕を残して” “言いつけを守れないお人形は捨ててしまおうか” 自分の乱れきった姿を目の当たりにして頭に響くのは、あの日葵を捨てた”パパ”の声。 「……パパに、怒られちゃう」 ふわふわの衣装を着た葵はいつだってパパの綺麗なお人形でなくてはならなかった。白い肌を汚すものは何であっても許されない。ママがぶった痕も、怒られるのはママではなく葵。 「違う、パパじゃない。櫻、先輩だから、大丈夫」 かろうじて残る理性で現状を引きずり出して落ち着こうとするが、溢れ出てくる記憶の波は止められそうもない。やはり鏡なんて見てはいけなかった。後悔しても今更遅い。それに必死に視線を外そうとしても鏡から離れることが出来ない。 幼い頃こうして着替えさせられた葵は鏡の前でパパに抱えられ、そしてめいっぱい愛を囁かれた。その時鏡から目を逸らせば途端に叱るように太ももを抓られる。痛みも感じない、痕も残らない程度の戯れだが、それでもあの時パパしか縋る相手が居なかった葵にはとてつもない威力のある折檻だった。 葵を愛しているのは世界でただ一人、パパなのだと心にも体にも刻み込まされている。だから何としてもパパの理想の人形で居なくてはならなかったというのに、葵はいい子に出来なくて、そしてパパは居なくなってしまった。 「パパ、許して」 まずはこの痕を消さなくては。そう思い立った葵は胸元に散らばる紅い痕を指で拭ってみるが、当然何も起こらない。震える指先で何度も何度もなぞるが、繰り返しても結果は同じ。 焦る葵の頭にもう一つの声が響く。 “魔法のお薬塗りましょう。すぐに良くなりますから” そう言って柔らかな声の主は葵の肌にクリームを塗りガーゼを当てると、泣きじゃくる葵を抱き締めてくれた。 傍に居ると誓ってくれた、あの声だ。 「まほうの、おくすり……どこ?」 完全に幼い日の記憶に彷徨い込んでしまった葵は室内を見渡し、声の主と、彼の持つ薬を求め始める。でも淡いピンクに色づいた部屋は、いくら見渡しても葵以外誰も居ないし、薬もない。 呼べばいつでも現れてくれたことは覚えている。だから呼ばなくては。そう思うが、肝心の名前が出てこない。緩んだ記憶の扉も、彼の記憶だけは頑丈に鍵がかかっていて開いてはくれないのだ。 「どこ、お願い、早く」 迷子のように葵はただ声を震わせて涙を溢れさせるが、やはり葵をずっと抱き締めてくれていた手はどれほど待っても現れてくれることはなかった。

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