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act.4哀婉ドール<51>

葵は鏡の張られた壁面に膝立ちの状態で向き合い、そして静かに涙を溢している。衣服は櫻がこの部屋に残してきた時のまま、乱れきっていた。直しもしていない。 そして何より異様なのは、塞がっていたはずの左腕の傷跡からとろりと紅いものが一筋垂れていること。 「葵ちゃん、また噛んだの?ダメだって言ったばっかりなのに」 あまりにも早い”癖”の再発に櫻が呆れた声を出せば、葵はピクリと肩を揺らし、そしてゆっくりと振り返ってきた。その瞳はどこか虚ろな印象を与える。 「どうしたの、葵ちゃん」 改めて聞いてはみたものの、心当たりはもちろんある。優しく言いくるめて今までで最上級の悪戯を仕掛けてしまったのだ。でも始業式の日のことは反省し、苛める口調は極力抑えたし、恐怖も抱かせないよう努力した。だから葵も恥ずかしがってはいたものの、怯えは見せなかったはずだ。 腕を噛むほど嫌だったとはにわかには信じがたい。 その櫻の予想はある意味当たっていて、蜂蜜色の瞳を濡らした葵が訴えてきたのは櫻が想像もしなかったことだった。 「パパ…来て、くれた」 「え?パパ?」 この空間には葵と櫻以外誰も居ない。葵の視線が捉えるのは間違いなく櫻。ということは、葵が呼びかけているのは自分。でもそれはあろうことか、父親を指す単語。 「ずっと、パパのこと、呼んでたの」 「……えっと、待って。葵ちゃん、本当にどうしちゃったの?」 嬉しそうに櫻へと手を伸ばす葵は、いつもの無邪気な笑顔ではない。どこか壊れた、けれど美しい微笑み。だが、櫻が戸惑ってその手を取れずに居ると、途端に葵の顔がくしゃりと歪んだ。 「パパ、やっぱりこんなお人形、いらないの?」 きっと迷わず抱き締めてやるのが正解だったのだ。でも後悔しても遅い。そう告げるなり葵が小さな子供のように泣きじゃくり始め、そしてラベンダー色のカーペットに体を丸め込んでしまう。 嗚咽と共に、苦しげな呻き声が聞こえる。その理由は腕が口元に運ばれていることで容易に想像が付いた。傷跡も目の当たりにしたし、それについての会話を交わしたばかりだ。 「葵ちゃん、ダメだってば」 「やッ…ごめ、なさい」 すぐに少し強引に顔を上げさせると案の定桃色のはずの唇が紅に染まっていた。でも傷付いた左腕を抑えれば、今度は右腕を口元に引き寄せようとする。それすら戒めれば、自分の唇自体を噛み切ろうとし始めた。これではキリがない。

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