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act.4哀婉ドール<52>
「あぁもう、しょうがないな」
一種のパニック状態に陥っている様子の葵に何を言っても通じないだろう。櫻は葵にこれ以上自分の体を傷付けさせないよう、強引に唇に自身の指をねじ込んで差し止めた。
「……ッ」
遠慮なしにギュッと噛み締められれば、何よりも大事にしてきて外部からの刺激に慣れていない指は痛みを訴えてくる。だが櫻はそれを罰として甘んじて受け入れた。葵がこうした思考回路に至った経緯は分からないが、きっかけを作ったのは間違いなく櫻なのだろう。
不意に思い出されるのは歓迎会二日目の夜の事件。葵の家族に連絡を取ろうと検索したデータベースに掲載されていたダミーの情報。それが今の葵の状態と繋がるヒントに思えた。
葵の父親が葵を人形として扱っていた。それが家庭の壊れる原因にでもなったのだろうか。そして人形というからには、葵の今の格好がそのトラウマを呼び覚ましたのだろうか。
一つのワードでそこまで流れを結びつけた櫻は、葵の額に滲む汗を自らの唇で拭ってやる。
「あ……あぅ」
ようやく噛み締めているのが自分ではない誰かだと気が付いてきた葵は、力を緩め、そして一層混乱したように唇をわななかせた。
「ごめ、なさい…ごめんなさい」
葵から解放された櫻の指にはぷつりと血が滲んでいる。それを見咎めた葵は謝罪を口にしながら、今度は必死に櫻の指を舐めて傷を癒そうとしてきた。
「大丈夫、落ち着きなさい」
髪を梳いてなだめてやってもちっとも葵はその行為を止めようとしない。懸命に舌を出して指をなぞる仕草はこんな状況でなければ可愛くて仕方がないが、今はとにかく葵を正常な思考に戻してやらねばならい事ぐらいわきまえている。
「教えたばかりでしょう?そういう時はこうしなさいって」
櫻はそう言って顎を掴んで上向かせ唇を重ねた。涙と血の混ざった味のするキスは、櫻の胸を痛ませる。ただ欲に任せたものではない。葵を癒やしたくて落としたキスはその思いが通じたのか、甘えるように縋り付いてこさせることに成功した。
それでもまだ櫻にぴったりと凭れかかってくる葵の肩はひくひくと震えている。
「ごめん、多分触れちゃいけないとこに触れちゃったんだね」
きっと櫻が思う以上に葵の抱える闇は深い。天真爛漫な印象で隠されているが、接し方を間違えると簡単に壊れてしまうほど脆いのだろう。
こうした格好が好きではない。そうやって葵はヒントを出してくれていたというのに、それをただの照れだと思い強引に押し進めてしまった。乱暴に抱こうとしたあの時よりも、もしかしたら葵を深く傷つけてしまったのかもしれない。
「すて、ないで。いい子にするから」
「捨てないよ、大丈夫」
「パパ、パパ」
混乱しきった葵はまだ櫻に”パパ”を投影しているようだった。離すまいと櫻のシャツを掴む手は小さく震えていて、痛々しい。
こういう時にどうやって慰めてやればいいのだろうか。苛める事には慣れているが、癒やすことは経験がない。とにかく葵をなだめるように背中を擦り、涙を拭ってやることぐらいしか櫻には思い浮かばなかった。
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