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act.4哀婉ドール<56>

* * * * * * アイボリーのレンガ調の壁に所々に飾られた額縁の裏から零れる間接照明が、室内全体を優しく照らしている。ミドルテンポのインストミュージックが空間の柔らかな雰囲気をより後押ししていた。 葵が目を覚ましたのはこの部屋のソファの上だった。ゆっくりと頭を撫でられる感触で重たい瞼を開くと自分を覗き込む櫻と目が合い、そしてごく自然に”ショートケーキでいい?”なんて問われたのだ。 思わず頷けば、すぐにギャルソンが現れ二人分の紅茶と共にケーキがテーブルに並べられた。そして今、櫻は何事も無かったかのように、葵の隣でティーカップを口元に運んでいる。 葵もそれに倣おうとするが、カップを摘む櫻の指に不似合いな絆創膏が貼られているのに気が付いてしまった。うっすらと血が滲んでいるのも見える。 寮で手を見せてくれた時はあんな傷は付いていなかった。むしろ、櫻が手を怪我した所など今まで一度だって見たことがない。よく考えずとも、記憶が朧気なあの試着室で葵が何かしてしまったのに違いない。 「あの……櫻、先輩」 乾いた喉では上手く言葉が出てこない。だが恐る恐る呼びかければ、櫻はカップを置き、葵と向き合ってくれる。 「これ、気になる?覚えてない?」 「……覚えて、ません。ごめんなさい」 差し出された櫻の右手を取って、その傷が浮かぶ人差し指に触れてみるが、やはりその傷の訳を葵は思い浮かべることが出来ない。思い出そうとすると、あの嫌な痛みが頭の奥でズキズキと響き始める。 「本当はね、何も無かったことにして、葵ちゃんをこのまま家に帰してあげたほうがいいかと思ったんだけど。でも……」 櫻はそこまで言いかけて、葵に掴まれていないほうの手でそっと髪を梳いてくれた。そうされてようやく、あのカチューシャが外されていることに気が付かされる。ワンピースの代わりに、櫻の部屋まで身に付けていた服に全身着替えさせられていた。 「あれで別れたらきっとしこりが残るでしょ?だから葵ちゃんともう一度話してからにしたくて。また我儘に付き合わせてごめんね」 そう言って微笑む櫻はいつもの気高い雰囲気ではなく、気弱ささえ伺える。彼に不似合いな表情をさせているのは、他の誰でもない葵だ。それがたまらなくて、葵は思わず櫻に抱きついてしまった。

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