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act.4哀婉ドール<62>

「気分悪くなっちゃった?平気?」 「ほんとに、大丈夫です」 「そう?じゃあ待ってるけど……無理しないで」 そう言い残して櫻が扉を閉めて出て行く音がした。とにかくこの男のことはバレずに済んだ。それだけで妙な安堵感が葵を満たすが、そんな様子を見た男はただ楽しそうに口元をにやにやと歪める。 「いいの?助けてって言えばよかったのに」 「そんなこと、しません」 「へぇ、昨日は偽物のお兄ちゃんに泣きついてたくせに。意外と強気な所もあるんだね。まぁ怒っても可愛いから、なんの迫力もないけど」 からかうように男が頬にキスを送ってくるが、好きな人にする挨拶をどうして葵を嫌っている様子の男がしてくるのだろう。それが分からなくて、ただぞわりと肌を粟立たせる。 「じゃあもっと面白い話でもする?」 男は葵が嫌がるのも気にせず、閉じられた便器の蓋の上に腰掛け、葵も座るように促してくる。当然のように抵抗を試みるが、がっしりと腰を抱えられれば、逃げようがない。ゆっくりと話し込めるよう、膝上に座らされてしまった。 「もうあの格好やめたんだね。可愛くてよく似合ってたのに」 「あの、格好?」 「そう、すごく可愛かった。昔の葵に戻ったみたいで」 暴れようとした葵の手をまた掴んで更にきつく抱きすくめてきた男は、心底残念だと言わんばかりの声を出してきた。きっと今日も葵の後を付け回していたのだろう。 “昔の”とわざわざ付け加えて来たのだから、当然のように彼は葵の過去の事も調べ上げているようだ。 「どうして……?僕が、あなたに何をしたんですか?」 「うーん、それはとても難しい質問だけど、あえて言うなら”何もしなかった”のが問題かな」 自分を付け回す理由を知りたくて投げかけた問いは、まるで謎掛けのような言葉で煙に巻かれてしまう。 困惑する葵を見て機嫌を良くした男は、逆に葵へと質問を返してきた。 「前に西名家が葵を引き取ることにどんなメリットがあるか考えろって言ったの、覚えてる?ちゃんと答え見つかった?」 もちろん、覚えているし考えてもきた。けれど、答えが見つかったかと言われれば頷けない。元より、葵を引き取ることで西名家が得をすることなど何一つ思い浮かばなかったのだ。 「じゃあヒント、あげるね」 そう言って男が胸ポケットから取り出したのは一枚の紙切れだった。そこには銀行の支店名、零の沢山並んだ金額が刻まれている。そして振出人の欄に”藤沢馨”という名。それは自分が”パパ”と呼んでいた存在だと言うことぐらいは思い出せた。 「この小切手が誰に渡されたものか分かる?」 喉が乾きを訴えてきてまともに声を出すことが出来ない。だから葵はただ首を横に振って答えた。 「西名陽平だよ。葵の価値は藤沢家からのお金。それだけだ」 「……ッ」 自分にそれを否定する権利はない。実の息子たちと同等の教育と暮らしを与えてくれているのだ。藤沢家から葵の養育費を受け取っていたとしても何も不自然なことはない。けれど、小切手の金額はあまりにも高額だ。 高等部からではあるが、せめて西名家に負担を掛けないよう、優秀な成績を維持することと引き換えに授業料免除となる奨学金の制度を葵は利用し始めていた。だから学園生活にかかる学費がどのぐらいのものなのか、よく知っている。 それに気になるのは小切手に記された日付が、一昨日であること。あまりにも最近の話だ。

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