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act.4哀婉ドール<64>

* * * * * * 扉が開く音に櫻が顔を上げれば、想像とは違う人物がそこから現れた。葵ではなく、サングラスを掛け、小綺麗なセットアップを身に纏った若い男性。 さっき顔を出した時個室は一つしか塞がっていなかった。そこから葵の声がしたから他に人は居ない、そう思っていたのに、これはどういうことだろう。すれ違う時に男の口元がにやりと歪んだのが見えて、一気に嫌な予感に襲われた。 慌てて化粧室に飛び込みあの個室を覗き込めば、扉を開け放ったまま葵がそこにうずくまって嗚咽を漏らしていた。 「葵ちゃん、何があったの?あいつ、誰?」 「櫻、先輩」 声を掛ければ葵は青ざめた顔で櫻に手を伸ばしてくる。”パパ”と呼ばれなかった事に安堵しながら、今度こそその手を取って抱き締めてやった。二度、同じ失敗は重ねない。 「もう大丈夫だから。怖かったね」 葵を抱き締め泣き止ませるのは本日二度目。まさか第三者に襲われたらしい葵を慰めるなんて、皮肉なものだ。始業式の日、櫻が襲った葵を慰めた忍の気持ちは、今の自分と同じものだろうか。 そんなことを考え始めたくなった櫻は、それよりもまずあの男の事を探らなくては、そう思考を正した。 ただの変質者にしては身なりが整いすぎている。そもそもこの店自体、それなりの品格がある場所だ。おかしな人間が立ち入れる店ではない。 「葵ちゃんの知ってる人?」 「……しらない、しらない」 「そう、分かった」 震えながら首を振る葵を今これ以上問い詰めるのは酷だろう。 櫻は外で待機する運転手に手早く今店を出たであろう男の特徴をショートメッセージで送りつけた。賢い使用人ならばこれだけで櫻の意図が読み取れるはず。その想像通り、すぐに戻ってきた返信には、車種とナンバーが記されていた。これで犯人探しは後からでも行える。 「どこか触られた?」 葵の身なりは乱れていない。ボタンもきっちりと上まで留められている。スキニーのデニムも異変は見られない。だが、服の上から悪戯することは十分可能だ。だから確かめたのだが、葵は相変わらず首を振って櫻にしがみつくばかり。 こうなったらもう、自分の手で葵を慰めるのは諦めたほうが良いかもしれない。確実な幼馴染に連絡を入れたほうがいいだろう。それが櫻に出来る最上級の優しさだ。

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