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act.4哀婉ドール<65>
「家まで送ろうか?それとも、西名さん呼ぶ?」
「……え」
「驚くことないでしょ」
喜ぶかと思った提案は、葵の目を真ん丸にさせてしまう。そして、不思議と震えが酷くなった感覚が伝わってくる。
「別に怒んないよ。ケーキ残そうが、デート中断しようが。そんな鬼じゃないから」
「ちが……そうじゃ、なくて」
櫻が怒ることを恐れているのかと補足してやれば、どうやら的外れだったらしい。ではもう葵が妙な所で意地を張っている可能性しか思い浮かばない。
「ほんと、甘えるの下手だね」
強制的に冬耶を呼んでやるのがきっと最善の方法。そう信じた櫻が携帯で冬耶の番号を呼び出そうとすれば、思わぬ邪魔が入る。葵が自らの手で櫻の操作を邪魔してきたのだ。
「何?」
「……帰んない」
「え、どうして?」
「やだ、帰んない」
まるで小さな子供が駄々をこねているような言い草。けれどその視線は切実な色が込められていた。
あの試着室での一件で葵が”パパ”と何かあったらしいことは察した。でも、奈央の話によれば葵は今”パパ”とではなく、西名家で生活しているらしい。何を恐れることがあるのだろう。その理由が全く持って分からない。
異常と思えるほど葵を溺愛している冬耶と、無愛想な顔をしているくせに一途に付き添っている京介。彼等の待つ家に帰りたくないなんておかしい。
このデートを始める時には、”都古と家に帰る”ことを冬耶と約束したのだと櫻に主張してきたのだから、明らかにデート中の何かが葵の気持ちを変えたに違いない。
「じゃあ、寮に戻る?」
代替案を出してみると葵は少しだけ迷った素振りを見せたが、また首を振って拒絶してきた。確かに今から寮に戻ればちょうど都古の補習が終わる頃。結局都古と共に家に帰る道しか残されていない。
「どうしようか。夜までは付き合ってあげられないしなぁ」
こうなった責任も感じているし、葵の気の済むまでどこかに連れ回してやってもいいのだが、生憎さっきかかってきた電話は実家からの呼び出しだった。次の演奏会でやる曲を一度聴かせろと祖父が櫻を呼んでいるのだという。
人の予定なんてお構いなしの祖父の指示を無視してもいいのだが、これでも随分と櫻の我儘を聞いてくれている自覚はある。月島家の他の人間の話には耳も傾けないが、当主である祖父だけには極力背かないようには心がけていた。
だが、葵を信用して任せられる相手など櫻にはあまり思い浮かばない。
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