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act.4哀婉ドール<73>

* * * * * * 「おはよ、葵ちゃん。着いたよ」 「ど、こ?」 少しだけ強めに肩を揺さぶられる感覚に目を覚ませば、櫻がにこりと笑いかけていた。ここがどこなのか。寝起きの頭では眠る前のやり取りがすぐには思い出せなくてつい聞き返してしまう。けれど、怒られるかと思いきや、櫻は優しく答えを示してくれた。 「忍の家。立てる?それとも抱っこしてく?」 「あ、いえ、歩けます」 指摘されて初めて自分が櫻に抱きついたままだと気が付いた葵は、慌てて身を起こした。覚醒してきた頭に、ようやくあのカフェでの一件が蘇ってくる。試着室での件といい、櫻にはかなりの迷惑を掛けてしまっているだろう。 それにあの男の言葉のせいで家に帰るのが怖くなって、つい我儘を言って忍まで巻き込んでしまった。着いたばかりで引き返すわけにも行かないが、どうしようと今更焦りだす。 「忍が待ってるよ。葵ちゃんに会いたかったんだって」 「……本当?」 「こんな嘘つかないってば。ほら、行くよ」 櫻には葵の動揺が伝わったのだろう。少しだけ強引に手を引かれ、開け放たれた後部座席のドアから車外へと連れ出されてしまった。 外に出ると、そこには異世界が広がっていた。日本に居ることを疑いたくなるほど現実離れした光景。豪奢な造りの建物は学園で見慣れていると思っていたが、この城のような屋敷を見れば学園はあくまで学生の生活に合わせたシンプルなものだったのだということを実感させられる。 「月島様、お待ちしておりました」 葵が屋敷全体に見惚れていると、玄関から現れた穏やかそうな白髪の男性が櫻へと声を掛けてきた。きっちりと質のいいスーツを身に纏った彼は、櫻とは顔見知りらしい。客人に頭は下げたけれど、その目には親しみが浮かんでいるように葵には思えた。 「忍、ああいう性格でしょ?全然友達が居なかったらしくてさ。だからこの人、僕が遊びに来ると喜ぶの」 執事らしい初老の男性の先導を受けながら、櫻は葵にこっそりと耳打ちしてくる。忍が家を訪ねてくる友人が少なかったという話も、櫻がそんな忍の家で歓迎されている姿も、葵にとっては新鮮だった。 忍と櫻がいつから親密な仲なのか、そういえば聞いたことがない。生徒会に属してからツートップとして二人が共に行動するのは当たり前にも思えたが、思い返してみれば、その前から彼等はよく一緒に並んでいた気がする。 聞いてみてもいいものなのだろうか。櫻の横顔を見ながらそんなことを考えていた葵は、エントランスホールで佇む人物に名を呼ばれ、開きかけた口を噤んだ。

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