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act.4哀婉ドール<83>

今でこそ月島家は演奏家としての一面だけでなく、音楽学校の運営を始めとする音楽関連の事業を幅広く展開し成功を収めているが、上手く立ち行かない時期もあったと聞いている。 今度行われる定期演奏会も外部の一般客に向けたものではなく、そんな時期を支えてくれた名家や事業家などあらゆる人達を招いて感謝の意として行われるのだ。北条家もその招待客の代表格であるし、このCDに刻まれた支援者、目黒もそうだ。 だから彼がこうしたジャンルのCDに何かしらの関与をしていること自体は別段不思議ではない。 目黒はよく月島家にも出入りをしてくるし、恐らく櫻が当主のために今夜演奏を聞かせるとなればどこからともなく話を聞きつけて図々しくもやってくる予感さえする。 このCDについて何か情報を持っているだろう男と接触出来るのはチャンス、と捉えていいのだが、櫻の気は晴れない。 それは何も冬耶に葵の秘密を探ることを制止されたからというわけではない。外部から葵の情報に触れることは言いつけ通り守るつもりではいるが、月島家に出入りする人物に雑談の一つとしてこのCDの話題を出すことぐらいは問題ないだろう。 でも櫻は悩んでいた。単純に目黒という男が嫌いなのだ。会話もしたくないし、顔も見たくない。 目黒は昔から異様なほど櫻に興味を示してきていた。容姿と演奏力、そして櫻の出生の経緯から支援者達の注目を浴びる存在であるのは慣れていたが、それでも彼の熱は尋常ではない。 けれど、葵のことをもう傷付けたくはない。少しでも良いから情報が欲しかった。その思いと目黒への嫌悪感を天秤に掛ければ、葵を選択してしまう。 葵の目に触れぬようCDを鞄に仕舞い込んだ櫻は、思わぬ所で拾い上げたヒントに期待と恐れの入り混じった複雑な高揚感に襲われていた。 葵を守りたい。 その気持ちに嘘偽りはないが、何から葵を守ればいいのかが分からない。その歯がゆさがこれで少しでも解消されるなら。 櫻はそう自分に言い聞かせ、ようやく庭先から忍と戻ってきた葵を笑顔で迎え入れた。

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