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act.4哀婉ドール<100>
* * * * * *
月島家の本宅は北条家と比べれば随分と小じんまりしている。分家が多いためこの本宅に住む者はごく僅かだ。だから生活に不便はないのだが、反面、今宵のように人が集まる日にはどこへ行っても一人にはなれず、櫻にとっては不愉快極まりない。
「櫻、来なさい」
洋館の中で一番大きな談話室の真ん中にはグランドピアノが置かれている。その正面にいる車椅子の老人が、入り口近くの壁に寄りかかっていた櫻を呼び寄せた。途端に談笑がぴたりと止み、室内の視線が一斉に自分へと集まる感覚がする。
当主の気まぐれで急遽決まった会だというのに、ここまで出席率がいいのは櫻が来るから、なのだろう。月島家の人間は皆、櫻に嫉妬と憎悪を直接ぶつける機会を得れば喜んで集まるのだ。
櫻の演奏力や、出生、当主に可愛がられているという立ち位置に対してだけではない。音楽しか取り柄がなく地味な顔立ちの血筋の中で、櫻の端正な顔立ちは一人極端に目立つ。
素の姿でも派手に着飾った女性陣よりも圧倒的に美しいと自負している櫻は、堂々と彼女達の間を通り抜け、当主の元へと歩み寄った。
「来たばかりだろう?指慣らしは?」
「必要ない」
注目を浴びながら温い演奏をするつもりはない。それに一刻でも早く役割を終え、この場から立ち去りたい。だから櫻は当主からの提案を切り捨て、早速ピアノへと向かった。
針のむしろのような空間は通常なら体を強張らせるのだろうが、櫻にとってはそれがより気分を高揚させるスパイスになる。
皆が自分を見て、そして負けを確信して悔しがる姿がこれ以上ないほど快感だ。きっとこの異常な家庭環境が櫻を歪ませたのではない。元々どこか壊れていたのだと、そう思う。
一呼吸置いた後、艶やかな鍵盤にそっと指を置いて弾き出せば、途端に室内から溜息が溢れだすのが分かる。嫌な人間ばかりだが、耳は良い。櫻の生み出す音がどれほど高尚なものか分かるのだろう。
あっさりと指定された曲を弾きこなせば、室内が再び静寂に包まれた。だが、当主がそれを破るように拍手をし始めれば、皆がそれに倣って手を叩く。
「やはりお前にその曲はよく似合う」
月島家の紋章である”月”を思わせる夜想曲。それが似合うなんて皮肉にしか聞こえないが、ここで嫌味の一つでも返せば面倒なことになるのは分かりきっている。
「何かもう一曲、聞かせておくれ」
「……今夜はノクターンを弾くために戻ったので」
皺の浮かぶ手を伸ばされても櫻はそれを取るつもりはない。当主のリクエストを断るなんて月島家の人間では許されない行為に一気に緊張感が高まる。
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