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act.4哀婉ドール<112>
今夜がいつもの学園生活の一幕であれば、きっとこんな目を向けられても忍は葵をシーツにもう一度組み伏せていただろう。けれど葵が忍の家に来た経緯を思い出せば理性は戻ってくる。
「分かった、もう苛めないよ。何の話がしたいんだ?」
なだめるようにまだ涙の残る目元を拭ってやる。その指先は自分でも驚くほど優しい動きをみせた。
数ヶ月前の自分がこうして自宅のベッドに人を招くことも、セックスもなしにただお喋りに興じてやろうとすることも、忍は全く想像もしていなかった。
肌を触れ合わせることを求めていたけれど、それが満たされれば急激に現実に引き戻されて冷めてしまう。だから事が済めば必ずベッドから相手を送り出していた。当時の忍が、ただ抱き合って互いの温もりを分け合うだけの夜を良しとする今の忍を見れば温いと嘲笑うかもしれない。
「えっと、じゃあ櫻先輩がお泊りする時は夜どんなお話するのか気になります」
「いきなり他の男の話か」
悪気がないのも罪である。さっき妬いたばかりの存在の名を葵が口にするのは、例え親しい友人だとしても気分が良いものではない。
「え?あ、そしたら恵美さんが言ってた小さい頃の会長さんのお話が聞きたいです」
「女の話が良いという訳じゃない」
忍のヤキモチがちっとも伝わらないのがもどかしい。葵はどうして忍が渋い顔をするのか理解出来ないようだった。
それにやはりこうして家を訪れてくれても葵からの呼び方が一向に変化しない。今日会ったばかりの恵美のこともすんなり呼んでみせるのにどうして忍は相も変わらず”会長さん”なのか。
「葵、歓迎会の続きをしようか」
庭先で宣言をしたからか、そう伝えれば鈍い葵でも忍が何を求めているのか思い出したらしい。途端に忍の胸元に置かれた手にきゅっと力が込められるのが分かる。
「皆の前では構わない。でも二人きりの時は……そう伝えただろう?」
「……はい」
覚悟はしていたのか、葵は忍の問いかけにこくりと素直に頷いてみせた。けれど、長い睫毛は伏せられてしまう。何が葵をここまで困らせるのか忍には見当もつかない。
「呼べないのか、それとも呼びたくないのか。それだけでもはっきりさせてほしい。俺の気の持ちようが大分変わるから」
“呼びたくない”、そうはっきり告げられた際のダメージは当然凄まじいものだろうが、それでも聞かずにはいられなかった。答えを促すように自分が丁寧に乾かしてやった髪に指を通す。こうして撫でられるのが好きだと聞いてから機会さえあればすぐにこうして触れていた。
そうしてゆるゆると葵に触れていると、ようやく心が決まったのか一呼吸置き、ゆっくりと瞼が開かれる。
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