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act.4哀婉ドール<113>
「……もう少しだけ、時間を、下さい」
忍をジッと見上げる瞳は忍を虜にする甘い色。潤んだその先に、悲しげな自分の顔が映っていた。
「それは俺が変われば解決することか?」
周りから指摘される高圧的な物言いと振る舞い。それが時折葵を萎縮させていることは気付いていた。染み付いてしまったものだからいきなり変えるのは難しいが、せめて葵と二人きりの時ぐらい、彼が望むのならば変わる努力をしようとは覚悟している。
でも葵はそんな忍の決意を振り払うように首を振った。
「僕の、せいです。僕の問題で。だから、ごめんなさい」
単に下の名を呼ぶことを断られただけ。なのに、まるで愛の告白を拒まれたかのような痛みが胸に突き刺さる。こんな気持ちにさせられるなら無理に求めるんじゃなかった。今まで通り”会長さん”で上手くやれていたのだから、欲張らなければよかった。柄にもなく後悔の念が忍に押し寄せる。
でも忍以上に葵が苦しげな表情をしていた。拭ってやったばかりだというのに、またじんわりと涙が滲み始めている。
「分かった。時間が解決することを祈るよ」
「……本当に、ごめんなさい」
「謝るな、俺は諦めてはいないんだから。期待して待っていてもいいんだろう?」
葵により一層プレッシャーを与えるかもしれない。そう危惧したが、葵は忍の言葉に力強く頷きを返してくれた。
名前を呼べない理由など何も思いつかないが、そのぐらいで葵への想いは変わらない。
「よくよく考えれば、”会長”もなかなか悪くない。葵が与えた役職だからな」
「僕が?」
「葵が生徒会に居なければ、会長になどなろうとも思わなかった。そう言っただろう?傍に居たい、それしか考えていなかった」
以前も伝えた想い。学園のため、なんて建前を忍は持ち合わせていない。葵と過ごす方法がこれしか思いつかなかったのだ。でも忍がそうして前向きに捉えようとしても葵の表情はまだ晴れない。
「悪いと思うのならたまにはお前からしてこい」
「何を、ですか?」
「さっき散々したのに忘れたのか?」
葵の気が済むよう罰を与えるように己の唇を指し示せば、葵の頬がまた紅く染まった。けれど葵は逃げなかった。戸惑う様子を見せながらも、葵がゆっくりと目を瞑りながら口付けを試みようとしてくる。
幼く不慣れなキス。
でもそれは忍が受けたどのキスよりも幸福なものだった。
「葵、次は今夜の宿代だ」
だからこんな馬鹿な事を言って、すぐに離れた唇をもう一度ねだってみせる。すると葵はようやく笑顔を取り戻し、そして再び短いキスを贈ってくれた。
この愛しさを何と言葉で表現して良いのか、賢い忍にもその術がない。思い悩む内に葵に先を越されてしまった。
「会長さん、大好きです」
キスと同じく幼い表現。それでも忍の心を満たすには十分だった。
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