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act.4哀婉ドール<125>

「葵、最後にもう一度だけ」 このまま葵を帰すのが惜しくて、玄関の扉をくぐる前に、葵の体を包んで唇を重ねる。後ろから着いてきた恵美や、待機する使用人に見られているが、そんなことは忍にとってはどうでもいい。この柔らかな感触を自らに刻み込むように啄むことに夢中だ。葵も心なしか名残惜しそうに忍のシャツを掴んでくる。 「またいつでも来て構わない」 唇を離して囁やけば、キスのせいで潤んだ瞳で忍を見つめたまま葵はこくんと頷いてきた。 玄関を出れば、そこには運転席に居た彼等の父らしき人物も車外で葵を待ち侘びていた。三人並んでいると、やはりよく似ている。 「葵、帰るぞ」 一番に手を広げ、葵を迎え入れようとしたのは冬耶でも京介でもない。だが葵は戸惑うように忍のシャツを掴んで離さない。あの陽気そうに笑う人物がとても葵を傷つけるようには思えないが、何か葵を戸惑わせる理由があるのだろう。 「あーちゃん?どうした?」 冬耶がいつもの笑顔で手招きしても葵の足は動かない。見下ろせば、涙を堪えるように唇を噛み締めていた。 この状況にいち早く焦れたのは京介だった。 「……クソ」 手にしていた煙草の箱を握り潰して地面に叩きつけたかと思えば、葵の歩みを待たずにこちらに寄ってくる。その剣幕にますます葵が怯える様子を見せたが、逃げる前に京介の腕が葵を軽々と抱え上げてしまった。 「だから、逃げんなっつってんだろーが。何でお前はそうなんだよ。言いたいことあんだったら言えよ、馬鹿」 言葉は乱暴だが葵を抱き締める仕草は忍の目から見ても優しい。葵もその手を求めていたのだろう。京介の肩に腕を回し、ぎゅっとしがみついていた。溢れる涙が京介のシャツの肩口に滲んで消えていくのが見える。 「……こわかった、の」 「何が」 「ばいばい、したくない。ずっと一緒がいい」 「お前が逃げてんだろ。一緒が良いなら離れんなよ」 京介の言葉に葵の泣きが一層激しくなった。でもこれがどういう涙かは忍にも察しがついた。 「ごめんな、北条。また連絡するよ。お姉さんも、お世話になりました」 京介が忍になど構わず葵をあっという間に車へと攫ってしまうから、冬耶が代わりに詫びを入れ、そして隣に控える恵美にもきちんと頭を下げていく。そういう所がやはり兄らしい。 父らしき男性も忍たちに会釈をして、そして車へと消えて行った。 「さくちゃんだけじゃないのね、ライバルは」 「……あれは家族だ。恋敵じゃない」 小さくなる車の影を見送りながらもたらされた恵美の呟き。それが悔しくて、忍はそう負け惜しみを口にするしか出来なかった。

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