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act.4哀婉ドール<126>

* * * * * * 揺れる車内で頬を寄せるシャツからはいつもよりも濃い煙草の匂いがする。苛立った時は京介の煙草の本数が増える。それを知っているから、きっと葵の言動で京介が随分と怒ってしまったのだと察することが出来た。 そうでなくても既に怒鳴られ、叱られた。十分過ぎるほど思い知らされている。 もしかしたら今度こそ本当に嫌われてしまったかもしれない。愛想を尽かされたかも。そんな不安に駆られてまたじわりと涙が溢れてきた。 それでも久しぶりに味わう幼馴染の体温が心地よくて、自ら離れるという選択はできそうもない。 「お前さ、どこまでぐしょぐしょにしたら気が済むの」 「……え?あ、ごめんなさい」 京介の胸元を濡らしていることを咎められてようやく葵は顔を上げると、そこには心底呆れたような京介の表情があった。 「なんで敬語なわけ?そうやって距離置くな。俺が言ってんのはいい加減泣きやめってことだよ」 乱暴に涙を拭ってくる指先からもほんのりと煙草の香りがした。でも嫌ではない。京介の香りとして覚えたそれは、嗅ぐだけで安堵さえさせられる。 そうしてもう一人、葵を心の底から安心させる声が響く。 「あんまり泣いてると腫れちゃうよ。母さんが心配しちゃうから、そろそろ、な」 京介に引っ付いている葵の手をずっと握り続けてくれる兄、冬耶の存在だ。彼の言う通り、外の景色は少しずつ見覚えのあるものへと変化し始めていた。 車に乗るのが怖い、そんな葵の性質を理解している彼等はずっと肌を触れさせ、葵を癒そうとしてくれた。 それに、運転席にいる陽平がバックミラー越しに時折視線を投げかけてくる。まるで葵がきちんとそこに居ることを確かめる仕草はそれだけで葵をホッとさせる。 あのサングラスの男に言われた言葉があまりにも唐突で動揺してしまったけれど、彼等が自分を大事にしてくれていることは葵が何よりも知っている。 もし彼の言う通り藤沢家が葵の養育費として西名家に十分過ぎる金を支払っていたとして、それで彼等の優しさが嘘になるわけではない。否、偽りでも構わない。与え続けてくれる限り、それに溺れていたい。 ただ、そこまで考えてふと、思う。 “パパ”は葵を捨てたのではなかったのだろうか。どうして馨名義の小切手があったのか。葵を少しでも気に掛けてくれているのだろうか。 期待と呼ぶにはあまりに不安定にふわふわと揺らぐ感情は葵にまた例の頭痛を引き起こさせた。ズキズキと鈍い痛みを与えてくる頭を京介の胸に思わず擦り付けた時、ゆっくりと車が停止した。 「着いたよ、あーちゃん」 冬耶に手招かれて外に出れば、玄関先では紗耶香が葵の帰りを待っていた。そのにこやかな笑顔を見るだけでまたツンと目頭が熱くなる。

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