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act.4哀婉ドール<138>
* * * * * *
京介と都古、二人と共にリビングを出て行った葵の表情はいつもの穏やかさが戻り始めていた。その顔を見れば、ようやくざわついていた心が落ち着いていく。でもまだ気分は晴れない。
「冬耶、コーヒー飲む?」
一人リビングスペースに残った冬耶を気遣ってか、ダイニングテーブルに居た陽平が声を掛けてくる。その誘いを断る理由はない。冬耶はソファから腰を上げ、彼の目の前の椅子へと体を移した。
「気になるんだろう、昨晩話したこと」
「うん?何が?」
冬耶が言葉でもはぐらかし、陽平の視線を避けるようにサイフォン式のコーヒーメーカーから自らの手でカップに中身を注いでみれば、彼からは小さく吐息が零れるのが分かる。苦笑いをしているんだろう。顔を見なくても想像がつく。
「今ここには京介も葵も居ない。お兄ちゃんじゃなくていいんだよ、冬耶」
陽平の言葉にカップから目線を上げれば、やはりそこには自分に慈しむような目を向ける父の姿がある。
「お前は感情表現が豊かなように見えて、色々な物を押し殺してるのは知ってるから。強いお兄ちゃんで居てくれるのは頼もしいけど、全部抱え込んでパンクするなよ」
陽平の言葉は的確だった。
葵が居なくなる。二度とこの家に帰って来ない。昨夜はそんな嫌な予感が体を蝕んで腐りそうだった。今回はきちんと取り戻すことが出来たけれど、二度目はないかもしれない。想像しただけで冷水を浴びせられたような感覚に震える。
「また、増やしただろ。自由に好きな格好すればいいとは思ってるし止めないけど、あんまりいかつくなりすぎるとモテないぞ」
陽平が指し示したのは自身の耳にある小さな軟骨。確かに冬耶の耳のその部分には新たなピアスが飾られている。開けたばかりでまだ少し腫れの残る場所は赤らんでいる。だから陽平にも見咎められてしまった。
「大丈夫、いつか全部外すから」
「外しても結局穴だらけだろ?それもやだなぁ」
陽平は冬耶の宣言を聞いて眉をひそめ、そして笑いかけてくる
彼は冬耶がどんな格好をしたところで一度もそれを咎めたことはない。初等部からピアスを付け、髪を派手な色に染め始めたせいで学園から呼び出しを食らったこともあるというのに、好きにしろと冬耶の背中を押してくれた。
きっとなぜ冬耶がそうした行動に走ったのか、陽平は薄々察しているのだろう。
今思えば初めは随分と子供っぽい発想だった。どうしても目立ってしまう白い肌と淡い金色の髪を悩む葵を救ってやりたくて、葵よりも先に注目を浴びるため派手な身なりをすることにした。
そして葵が嫌な記憶を蘇らせてはそれを耐えるために自分の体に爪を立て、噛みしめる行為にも共感してあげたい。そう考えて葵が取り乱す度にピアスを開け始めたのだ。
独りよがりな願掛けだとは分かっているが、いつか葵が全てから解放された時、この無数のピアスを外してもいいと、冬耶は思う。
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