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act.4哀婉ドール<139>

「葵の”お兄ちゃん”は、冬耶、お前だけだよ」 思い出を振り返ってぼんやりと目を薄めた冬耶に、陽平は柔らかく語りかけてくる。 昨晩、葵の祖父と面会を済ませた陽平から聞いた話。それは確かに冬耶を酷く動揺させた。 馨が父親としての責務を果たせるほどの人物に成長したならば、その時は葵を引き取ることを考えている。でもまだその時期ではない。そんな勝手な予定を祖父は話したそうだが、まだ想定の範囲内だった。 問題はその次。葵自身を今跡継ぎとして欲してはいないという、その理由にあまりにも驚かされた。 「あーちゃんにお兄ちゃんが居る、ってこと……だよな」 「はっきりとは言わなかったけど、馨さんにもう一人息子が居るってことは、そういうことだろうな。既に仕事をさせ始めてるって言ってたから少なくとも年齢は葵よりも上、だな」 馨のその次の存在が居るから藤沢家としては葵を必要とはしていない。ただ馨を上手く操るだけの駒としては使いたい。腹の立つ言い分だが、今は何よりも葵と血の繋がりのある人物がいる。それが気になって仕方ない。 “今まで葵のお兄ちゃんの代わり、頑張ってくれてありがとう” 馨と会った時告げられたこの言葉の意味をずっと気にしていたけれど、こういう意味だったのだろう。 「冬耶、葵の”お兄ちゃん”はお前だけだ」 もう一度、陽平は同じことを告げてくる。冬耶が何を恐れているか、見通しているようだ。 「あーちゃんはそれを聞いたのかな」 「どうだろうな。でも葵は帰ってきた。お前のことも兄と慕ってる。不安に思うことはない」 葵に接触した人間は、藤沢家所有の社用車を使っている。そのぐらいしか調べることが出来ず、一体葵に何を吹き込んだのかは分からない。葵本人に聞き出すタイミングを伺っているが、確かめるのが怖い。 血の繋がりのある兄に会いたい。もしそうねだられたら、冬耶にそれを止める権利はない。そうして葵からも”今までありがとう”と、冬耶との関係を解消するよう求められたら、すなわち自分の生き甲斐が失われることになる。 「お前がそうやって溜め込んだものを吐き出す場所はあるのか?」 表面上、陽平に動揺を見せないようにできるだけ落ち着いてカップを口元に運んだつもりだったが、指先が少し震えるのは止められなかった。 「吐き出す場所?そうだなぁ、遥が俺の掃除屋みたいな感じかな」 「随分な言いようだな。遥くんに怒られるぞ」 陽平には笑いながら非難されるが、決して彼を馬鹿にしているわけではない。彼は冬耶の中に溜まる負の感情をさらりと受け止めてどこかへ消し去ってくれる。昔から遥には随分と救われてきた。 「もしかして、遥くんがフランスに行って寂しいのは葵よりも冬耶か?」 「あーちゃんよりもってことは無いと思う、多分ね」 素直に返事をすれば、陽平はもっと笑顔を深くした。寂しいのは否定しない。ずっと共に学園生活を送っていたのだ。家族よりも長い時間を過ごしていたかもしれない。寂しいと思わないほうがおかしいだろう。

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