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act.5三日月サプリ<46>
* * * * * *
“北校舎”、それは奈央と出会ったエントランスから距離は離れているものの、化学室や生物室、地学の実験室ばかりが立ち並び、生徒が常駐するような空間はない。当然掲示板の数も他の校舎に比べれば少なかった。
────奈央さま、やっぱり優しい。
未里の負担を減らすために奈央はきっとこの場所を指定してくれた。そう考えるだけで彼への想いが深まる。
未里だって本来こんな雑用はやりたくなどないが、終えた後奈央はきっと自分だけを見て”ありがとう”、そう言ってくれるはずだ。想像しただけで胸が高鳴る。
だが奈央から半ば強引に預かったプリントを見ると未里の気分は一気に盛り下がる。今月の学園行事が記されたプリントのベースはパソコンで打ち込まれた文字だが、所々手書きでコメントが加えられているのだ。この文字は奈央のものではない。
“書記”という役職は生徒会の会議の記録を書き留めるだけでなく、こうした生徒会からの配布物の作成も含まれているらしい。
「……ムカつく」
この文字の持ち主、葵の顔を思い浮かべながら未里は元から掲示板に貼られていたプリントを引き千切るように破り捨てた。奈央は好きでやっているというが、こういった作業を年下の葵ではなく奈央が行っているということも未里を苛立たせた。
未里にとって奈央は唯一無二の王子様。プリントの束を抱えて校舎中を巡るなんて似合わない。いつでも高貴に振る舞っていてほしい。でもそうして嫌な顔ひとつせず学園の為に働く所も好きなのだから、複雑だ。
どうして奈央のような清廉な人が葵に惹かれるのか。未里にはさっぱり理解出来ない。前年度の生徒会役員にも可愛がられ、今だって忍や櫻に特別扱いされている。それでも飽き足らず、彼は同級生や後輩ですら侍らせていた。
奈央一人ぐらい、未里に譲ってくれてもいいのに。筋違いな恨み言なのは頭では分かっていても、感情が追いつかない。
葵の少し丸みを帯びた字を見るたびに苛立ちが増した。つい、奈央から受け取ったプリントの扱いも雑になっていく。生物室の前にある掲示板の貼り替え作業を行おうとしてプリントの束を床に放り投げれば、磨かれた床の上を数枚、ぱらぱらと滑り始めてしまう。
「あーあ、面倒くさ」
目の前の扉の隙間をプリントが滑り抜けて行くのを見て、未里はうんざりとため息を零した。たかが数枚。予備があるように見えるし無視をしてもいいが、きっちりとした奈央の性格を考えれば、プリントを失くしたことに気付かれるかもしれない。
鍵が掛かっていたら一度職員室まで向かう必要がある。未里が祈るように扉に手を掛ければ、やはりしっかりと施錠されていて開かなかった。
ここから職員室までは少し距離がある。わざわざ往復するのも嫌だし、そこで奈央と鉢合わせてしまったら厄介だ。
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