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act.5三日月サプリ<84>
「ねぇ、葵が西名よりもパパと暮らしたいって言ったら?そうしたら良いんだよね?」
「……そう、ですね。お坊ちゃまが望むことですから」
「きっとパパを選ぶよ、あの子は」
馨はきらきらと瞳を輝かせるけれど、穂高の気は沈む一方だ。暫く会っていないとはいえ、確かに葵の中に馨の存在は深く刻み込まれているだろう。
馨を送り届けた穂高は、自室に戻ると宮岡へとすぐに電話を掛けた。数コールの後繋がった電話越しに、緊張感のない間延びした声が響く。眠っていたのだろう。
『相変わらず夜更かしだな、アキは』
起こしたことを咎めることはせず、宮岡は遅くまで動く穂高のことを気遣ってくる。
「私の記憶だけじゃない。馨様の記憶も、全て消し去って」
矢継ぎ早に願いを口にすれば、宮岡の溜息が聞こえてきた。返ってくる言葉は予想がつく。けれど、縋らずにはいられないのだ。
『あのね、何度も言ってるけどカウンセリングってそういうものじゃないの。嫌な記憶を加工する手伝いは出来るけど、人間の頭はコンピューターじゃないんだから簡単に消すなんて無理だよ。アキだって分かってるだろ』
分かっている。それでも葵から辛い記憶が全て無くなってほしい。幸せな記憶だけに包まれて笑っていてほしい。
『葵くんはちゃんとトラウマに立ち向かおうとしているのに、それを潰そうとするのか?』
「もし、もしも、お坊ちゃまが馨様を選んだら?そうしたらもう二度と逃してやれない」
『葵くんが選択するなら仕方ない。止める権利はないよ』
宮岡のあっさりした答えは穂高の焦燥を煽る。でも彼は穂高の焦りを見越して言葉を続けてきた。
『だから、早くあの子にとって今の環境が一番幸せだと実感させてあげなくちゃいけない。何よりも失いたくないものだって思わせてあげよう。実の父親との時間なんて魅力でも何でもなくなるぐらい』
宮岡はいつだって冷静だ。葵のことになるとどうしても普段の完璧な秘書の姿を保てなくなる穂高と違い、一つひとつやるべきことを示してくれる。
そしてひたすら影で支えようとする穂高を表舞台に引っ張り出そうともする。
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