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act.5三日月サプリ<86>

* * * * * * いつのまにか濃紺だった窓の外が白んできて、ほんのりと紫がかった色が滲んでいる。 「……もう朝か」 冬耶は筆を置き、同じ姿勢ばかりを取って固まる体を解すように一度大きく伸びをした。 絵を描くことは昔から好きだった。描くのは頭の中に広がる夢の世界。現実に見聞きしたものがベースにはなっているが、あくまで冬耶の好みを加えて変形させていく。 今目の前のキャンバスに描かれているのは光の粒を纏って空を舞う飛行機のイラスト。ただよくある形ではなく、ふわりとした羽を広げる飛行機は鳥のようなフォルムをしている。 普通のものを模写するのはどうにも性に合わなくていつからかこういうものばかりを描くようになっていた。唯一今でも描き続ける現実の存在は葵、ぐらいだ。 冬耶は画材を並べた棚から葵ばかりを描いたスケッチブックを取り出した。いつかきっと葵はこの手を離れていく。その時に温かく送り出してやれるようこうして記録を残しておきたいのかもしれない。 古い絵は自分でも笑ってしまうほど下手だけれど、それでもはにかんだような表情も、寂しくて泣きじゃくる表情も、当時の自分が大切に描こうとした痕跡は窺える。 冬耶は新しいページを開いて先の丸い柔らかな鉛筆を取り出した。描くのは昨日公園で双子とはしゃぐ葵の姿。でも輪郭を描いた時点で手を止める。 廊下をぺたぺたと控えめな足音が通る音に気が付いたのだ。この家でこんな足音を立てる人間は一人しかいない。でもまだ起きる時間には早いはず。 冬耶はスケッチブックを元の位置に仕舞うと、後を追うように階下へと向かった。 ダイニングの戸棚を漁る音がして顔を出せば、やはりその正体は葵だった。ひどく寝癖のついた頭で眠そうに目を擦っているのだから、明らかに寝起きのようだ。 「あーちゃん?何してるの?」 声を掛ければ途端にびくんと体を跳ねさせて慌てて戸棚のガラス戸を閉めてしまう。 「なんでもない、よ」 「……それ、お兄ちゃんに通用すると思う?」 咎めるつもりはないが、自分に隠し事などしないでほしい。傍に寄って髪を撫でてやれば、葵からは小さく”思わない”と返ってきた。触れた頭が少しだけ熱っぽい。それに葵が探っていた棚は常備薬を並べている場所だ。もしかしなくても、風邪を引いたのだろう。

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