608 / 1600
act.5三日月サプリ<92>
「お兄ちゃんのお友達が”遥さん”だっけ?」
「そう、すごくすごく大好きな人。お兄ちゃんともずっと仲良しなんです」
「じゃあ冬耶くんの傍に置いてあげよう」
宮岡が指で指し示した部分は、冬耶の名前のすぐ横。葵もそこがぴったりだと思い、その場所に彼の名前を刻んだ。
コツを掴んでしまえばあっという間にノートのページにどんどん名前が増えていく。都古や綾瀬と七瀬、生徒会の先輩達に、聖と爽。ずっと通っているプラネタリウムの館長や、そして今隣にいる宮岡まできちんと並べてみせた。
「私も入れてくれるんですか?」
「宮岡先生、温かくて好きです」
「それは光栄だな」
宮岡に葵の周囲の人を紹介するための図式なのだから本来彼が登場するのはおかしいのかもしれない。それでも彼の名もここにあったほうが良いと思ったのだ。
葵はそこで一度手を止め、自分を中心に広がる輪を見つめてみる。沢山の大切な人に囲まれているのだと目で見て確かめると、もう孤独ではないと実感させられた。
でも葵にとって大切な人はまだ居る。自分の名の真上に空いたスペースにペンを走らせて表したのはもう一つの家族の存在だった。
「大好きな人、ですよ」
「……はい」
宮岡が確かめるようにそっと囁いてくる。でも葵は頷いた。
葵にとっては皆大好きな存在のはずだった。パパもママも、そしてシノブも。でも彼等は葵をどう思っていたのだろう。
パパはいつも葵を愛していると言っていたけれど、いい子に出来なかったから見捨てられてしまった。
ママは葵を一度だって好きだとは言ってくれなかった。名前すら呼んで貰えた記憶はごく僅か。最後に彼女が残した言葉は思い出そうとする度に身体ごと千切れそうな痛みを生み出すのだから、呪詛のようなものだったのだと思う。
シノブに至っては葵さえ居なければ今頃幸せに笑っていたはずだ。
ここに書くべきではなかった。ツンと鼻の奥が熱くなり、ダメだと思った瞬間にはもう溢れてくる涙がノートに落ちてページを歪ませていた。
「ごめ、なさい。消さなくちゃ」
葵が彼等を好きだと言うことすらおこがましい。彼等だけではない。葵が一方的に好きなだけで、皆は違うかもしれない。急速に不安に駆られてテーブルに転がる消しゴムを手にすれば、宮岡が包むように手を重ねてきた。
「葵くん、もう一度きちんと見てごらん。本当に消さなくちゃいけないんですか?君の大好きな人達をここから消してしまってもいい?」
宮岡の黒い瞳に促されて、葵は恐る恐るノートに視線を下ろす。葵を取り囲む人たちの名前が全て消されたら。また自分は白いページにただ一人、ぽつんと佇むことになる。
ともだちにシェアしよう!