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act.5三日月サプリ<93>

「ダメ、消えないで。一人に、しないで」 ただの紙の上でのことだ。想像で涙を零すなんてやはり自分はどうかしている。それでも不安も恐怖も、吐き出さずにはいられなかった。速まっていく呼吸は喉から胸に掛けて茨を巻いたような痛みを生んでいく。 「大丈夫。もう君を一人になんてしないよ」 宮岡がそう言って抱き締めてくれなくては、また気が遠くなるほどの闇に落ちてしまう所だった。葵を自らの胸に引き寄せてゆっくりと背中を撫でてくれる宮岡は葵が取り乱してもちっとも慌てない。いつも通りの声音で語りかけてくる。 「葵くんは自分の事が好き?」 「……嫌い、大嫌い」 「どうして?皆葵くんのことを好きって言ってくれるでしょう?」 確かに宮岡の言う通り、皆は葵を大事にしてくれる。でも葵は自分にその好意を受け取れるだけの価値があるのかどうしても怖くなってしまうのだ。 「髪も瞳も、変な色してるし」 「うん」 「小さいし、すぐ泣いちゃうし」 「うん、それから?」 「……それから」 「あれ?嫌いなところはそれでおしまい?」 山ほどあるはずだ。でも宮岡があまりにもあっさりと頷いて受け入れるからうまく言葉が出てこない。 「自分の好きな所のほうが沢山言えるかもよ?」 そんなことがあるわけがない。否定するようにただ首を横に振れば、宮岡はまた笑って葵の背中を撫でてくれる。葵よりもずっと年上の彼からすれば葵は随分と子供に映るのだろう。だからあやすような仕草も妙にしっくりと来てしまうのだ。 「嫌いなところ、まだあります」 「何?教えて、葵くん」 「……大事な事を沢山、忘れてしまうところ」 彼の目を見据えて告げれば、宮岡が少し息を飲んだ感覚が伝わってきた。表情は穏やかなままだが、纏う空気がほんの少し変化する。 「宮岡先生。思い出すのを手伝ってくれるって本当、ですか?」 「あくまで私に出来る範囲でね。葵くんは何を思い出したい?」 葵の記憶が定かではないことを挙げればキリがない。でも急務なのは歓迎会での出来事だった。幸樹と過ごした夜の事が思い出せそうでまだ大事な部分にモヤが掛かっている。 宮岡にそれを伝えれば、彼はまず覚えている範囲で幸樹とのやりとりを振り返るよう促してきた。宮岡の胸に顔を埋めて目を瞑り、静かに記憶の海に足を踏み入れていく。 幸樹と眠る直前の事までは思い出すのは容易だった。既にある程度断片的に彼との会話を蘇らせていたのも大きい。そしてより細かく会話を辿ることによって、更に深く閉じ込めていた記憶を掘り起こすことが出来た。 「……絵本」 「絵本がどうかしたんですか?」 「ママの絵本、上野先輩から貰いました」 正確には幼い頃母から貰ったものと同じ絵本、だ。先に眠ってしまった幸樹に後で内容を教えてあげる、そんな約束を交わして湖畔で読み始めたのだが、結局暗闇が恐ろしくなって葵自身も眠りについたのだ。

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