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act.5三日月サプリ<95>

“おつきさま、あげる” 小さな自分の声が頭の中に響く。そしてそれに応える柔らかい声も蘇った。 “ありがとうございます。でも本当にいいんですか?” “いちばん、げんきになって” あの時の自分が誰を恋しく思っていたのか。すぐそこまで出かかっているのにどうしても思い出せない。 「宮岡先生、また思い出したいことが増えちゃいました」 「ではそれはまた今度にしましょうか。もうすっかり紅茶もスコーンも冷めてしまったからね」 葵は今すぐにでもまた宮岡の導きで記憶を取り戻したかったけれど、確かに彼が美味しいと言ってくれたものを堪能する前に大分時間を取られてしまった。 「ごめんなさい」 「どうして謝るんだい?私は食いしん坊だと言ったでしょう。それに冷めても美味しいのが本物だよ」 宮岡の言うことが本当か嘘か分からない。葵を気に病ませないための方便にも受け取れる。でもジャムを付けて差し出されたスコーンの欠片を口に含めば、本当に蕩けるほど美味しかった。 「ほら、ね。いくらでも食べられてしまうよね。お代わりもできちゃうんだ。だから私はこのお店が大好き」 「宮岡先生の好きなものも、もっと教えてほしいです」 「そうですね、仲良くなるにはそれが一番の方法かもしれない」 医者は皆堅くて難しいことばかりを言う印象が強かったけれど、宮岡は全く違う。スコーンを幸せそうに頬張る彼は到底医者には見えない。 「次はミルフィーユの美味しいカフェにしましょう。甘いものを一緒に食べてくれる友人が出来て嬉しいなぁ」 「友人、ですか?」 「休日に一緒にお茶をするのは友人、じゃなかったかな?それともこんなおじさんじゃダメ?」 医者と患者。その関係すら宮岡は否定してくる。 「宮岡先生、おじさんじゃないですよ」 「君ぐらいの年ならもう私みたいなのっておじさんじゃないですか?まだ大丈夫?」 「大丈夫です」 葵が力強く否定すれば、宮岡は嬉しそうに笑ってきた。京介からは彼がまだ二十代だと聞いているし、見た目も精悍で若々しい。頼りがいのあるお兄さん、という雰囲気だ。 「じゃあ次はミルフィーユで。あ、でも待ってタルトが美味しいところも知ってるんです。それにシフォンケーキも。これはしばらく付き合ってもらわないと」 診察が一度や二度では終わらない。そう宮岡は言いたいのかもしれない。でももしかしたらただ食べ歩きをしたいだけなのかも。そう思わせるほど彼のスコーンを摘む手は止まらない。 「全部、行きたいです。宮岡先生と沢山おしゃべりしたい」 本来葵のほうがお願いしてこの時間を作ってくれているはず。それなのに葵がそう言うと、彼は一瞬泣きそうな程顔を歪ませて、そして誤魔化すようにきつく抱き締めてきた。 体を離したときにはまたいつもの笑顔に戻っていたけれど、あれは何だったのだろう。そう思わせるほど、宮岡の切ない表情が葵の胸に残った。

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