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act.5三日月サプリ<103>

「葵、貸しな」 「大丈夫、自分で持てるよ」 駅へと向かう道すがら、京介がケーキの箱に手を差し伸べても葵は首を横に振ってくる。甘えるなと叱っていたはずなのに、これからこうして少しずつ甘えてもらえなくなるのかと思うと、寂しいと思う気持ちは否めない。 帽子を被り直し、前を向く葵の表情はどこか大人びて見える。 「お前さ、なんで何も言わねぇの」 自宅の最寄駅へと向かう電車は幸い空いていた。大事に膝の上でケーキの箱を抱える葵の横に座った京介は、堪りかねて尋ねてしまう。 宮岡との会話で歓迎会の夜のことを葵はしっかりと思い出したと言うのに、そのことには一向に触れてこない。 「……なんでって何が?」 「別に。俺に話すことねぇならいいけど」 葵からどんな返事が来れば気が済んだのか、自分でも分からない。ただ宮岡の手助けで記憶を蘇らせ、ひとしきり泣いてすっきりした様子の葵を見ていると、自分の無力さが顕著になった気がして京介はいたたまれなかったのだ。 はじめに病院に連れて行った時の思惑通りだというのに、頼られないことを悔しがるなんて子供っぽいと自分に呆れてしまう。京介は真っ直ぐに見つめてくる葵の視線から逃れるように、向かいの窓の外を流れる景色に目を向けた。 「京ちゃん、ありがとう」 葵はそんな京介の様子を気にせず、視線同様に澄んだ言葉を投げかけてくる。 「ちゃんと思い出せてよかった。京ちゃんがきっかけくれたんだもんね。お礼、言わなきゃダメだったよね」 葵に礼を言わせたかったわけではないが、宮岡との出会いへの感謝を受け入れるのも一つの答えなのかもしれない。 トンと軽い体を京介の肩へと預けてくる葵は傍から見れば甘えているように映るだろう。けれど、もやもやと晴れない心を抱える京介にそっと寄り添ってくれていると思わせる。 「上野先輩が助けてくれたんだよね」 「そう、あいつが飛び込んでお前のこと引き上げた」 「そっか。迷惑、掛けちゃったね。それで、怒っちゃってる?」 幸樹が姿を現さない理由があの夜の自分の行動のせいだということは理解しても、幸樹の感情までは読み取れないらしい。葵は不安そうに尋ねてくる。京介に触れている体が少し、震えた気がした。

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