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act.5三日月サプリ<104>

「そうじゃない。お前を追い込んだこと、悔やんでる。会わせる顔ないって」 「……僕が、悪いのに」 もしかしたら怒らせていたほうが葵にとってはマシだったのかもしれない。 幸樹が葵を喜ばせようと用意した絵本も、連れて行った湖も、葵にとっては過去に遡るためのアイテムだった。でもそれは不幸な偶然で、幸樹が悪いわけではない。幸樹を深く傷付けていると知って、葵もショックを受けたようだった。 濁すべきだったのかもしれないが、今更京介が嘘を重ねても無意味だろう。 「宮岡先生ともっとお話したら、おかしくなっちゃうのも止められるのかな」 葵がこうして自分の中にある闇を払う方法を模索しようとしているのだから、京介がすべきことは取り繕うことではない。背中を押してやることだ。 「焦るなよ」 葵が引きずる過去はあまりにも重く根深い。一度や二度、宮岡と会話した程度で断ち切ることが出来るものでもないことぐらい、京介でも察しはつく。慌てた所で余計に葵自身をパニックに陥らせるだけだと忠告すれば、葵が小さく頷いたのが肩越しに伝わってきた。 「もしかして、皆知ってる?僕が、溺れたこと」 「溺れた、ってことはな。自分で落っこちたの知ってるのは兄貴と俺と幸樹ぐらい。……まぁ、都古は察してるだろうけど」 最後に葵の猫の名を告げれば葵が納得したように息をついた。都古の様子に思い当たる節があったのかもしれない。でも少なからず、葵は他の皆が真実を把握していないと知って安堵したようだった。 だから京介は黙っておくことにした。聖と爽に至っては葵が溺れた事実すら知らないが、忍達は”幸樹と遊んで溺れた”なんて言い訳を真に受けてはいない気がする。それを今の葵に告げれば、この後彼等と顔を合わせることは出来なくなるだろう。 静かに速度を落とした車体はそれほど揺れることなく停車する。先に立ち上がって手を差し伸べれば、葵は自らの手を重ねて腰を上げた。 もう片方の手にはしっかりとケーキの袋を下げている。予定よりもサイズの大きくなってしまったケーキを苦労しながらも慎重に運ぼうとする様子は、いかに葵がこの後の時間を大切にしたいかが窺えて笑えてくると同時に切なくなる。 “一人にしないで” 宮岡との会話の中でそう言って泣きじゃくった葵の姿が思い起こされるのだ。 あの時京介は我慢できずに葵の元に駆け寄ろうとしたが、代わりに宮岡が葵を抱き締め、そして京介へと手の平を向けてやんわりと制止してきた。診察中に同席する条件として気配を消すことを命じられていたのだから当然だったが、歯がゆかった。

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