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act.5三日月サプリ<122>

「あの頃に戻りたいって、俺のエゴだよな」 まだ葵が京介だけを頼りにしてくれていた時代を彼等は知っている。更に呆れられることを覚悟で、京介はドロドロと心に湧き上がる黒い独占欲を打ち明けた。 「西名が感じてること、藤沢本人にきちんと話してみたら?」 「葵に?」 「多分藤沢は西名が寂しがってるなんて気が付いてないだろ?」 「……寂しいっつーか」 綾瀬の言葉に一度は否定しかけたものの、確かに心を巣食う感情の中には寂しさもある。でも葵の事を甘えたとか、寂しがりだと散々叱ってきたのだ。今更葵が自分以外と親しくするから寂しいなんて、言えそうもない。 「京介っちはその意地っ張りがダメなとこだよね」 「良さでもあるんだろうけどな」 二人揃って達観したような視線をぶつけてくるのが癪である。でも京介はそれ以上彼等に反論することはやめた。聞き慣れた足音を筆頭に、大勢が階段を上がってくる音が響いてきたからだ。 葵の部屋にその音が消えるのを感じたが、しばらくしてまたあの足音が聞こえてくる。それが京介の部屋の前で止まった。ノックと共に薄く開かれた扉から顔を覗かせたのはやはり葵だった。 「京ちゃん、暗くなる前に寮戻りなさいって」 冬耶に言われたことを伝えに来たらしい。だが帰り支度を始めることに了承してみせても、葵は自分の部屋に帰る様子を見せない。何か言いたげな顔をしているから促すように手招いてやれば、すぐに葵が駆け寄ってきた。 「さっき飾り片付けてたんだけどね……その、連れてっちゃ、ダメかな」 「何を?」 「……クマのぬいぐるみ」 葵に言われるまでその存在を忘れていた。いや、正確には強引に忘れようとしていた。あのぬいぐるみを発見された際どこに怒りをぶつけていいか分からず声を荒げてしまったのだから、葵が不安そうにするのも無理はない。 「そんなにあれがいいわけ?ウサギのは?」 昔両親が買い与えたウサギのぬいぐるみを可愛がるなら京介の感情も逆撫でられない。そちらを寮に連れて行けと差し向けたが、葵は首を振って京介の傍にしゃがみこんできた。 「京ちゃんと行った動物園の思い出だから、連れて行きたい。水族館で買ってもらったイルカも連れてくから」 葵は馨からの贈り物だなんて微塵も知らない。京介との思い出、そう解釈して傍に置いておきたいのだと主張されれば真っ向から切り捨てるわけにはいかなかった。自分を見上げてくる丸い蜂蜜色の瞳にはずっと弱いままだ。 それに、どうせ自分達を監視しているだろう馨に見せつけるのも良いかもしれない。そう思い始めてもいた。葵は京介から贈られたと思い込んで喜んでいる、馨のことなどちっとも気にしていない、と。 「自分で持てるんならいいよ」 ストレートに良いと言えず、こうしてどこか意地悪をしてしまうのは自分のダメな所なのだと京介は思う。でも葵はそれを咎めるどころか嬉しそうに微笑みながらトンと抱きついてきた。 「ありがと、京ちゃん。大好き」 事情を知らないはずの綾瀬と七瀬が、どこかにやりとした笑みを浮かべているのが憎い。だが京介は束の間の抱擁を味わうチャンスを逃すことなく、葵の体を抱き返した。

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