639 / 1629

act.5三日月サプリ<123>

* * * * * * 自分が住んでいる家、部屋を見られることがどこか照れくさくてくすぐったいことなのだと、葵は今日初めて知った。でも温かくて良い家だと言ってもらえるのは誇らしくもあった。 だからこそ、しばらく家でゆっくり過ごすことが出来ないと思うと寂しさが込み上げてくる。けれど、空が夕焼け色になる前に帰りなさいと冬耶からは言い渡されていた。タイムリミットはもうすぐだった。 「……お兄ちゃん」 「お、荷物まとまった?クマさん持って行って良いって?」 荷物を詰め終えた鞄と、階段下の物置に押し込まれていたままだったクマを大きな袋に詰めてリビングに戻れば、冬耶が笑顔で葵を迎え入れてくれた。葵の後ろからは共に二階に上がっていた面々がついて来ているが、その目も気にならないぐらい冬耶と別れるのが寂しい。クマを抱えたまま冬耶の元に向かえば、彼から先に葵を抱き締めてくれた。 「あーちゃん、そんな顔しないで。皆と帰るんだろ?寂しくないよ」 冬耶の言う通りだ。一緒に学園に戻り、明日からも一緒に過ごしてくれる沢山の先輩や友人、そして後輩が葵には居る。でも冬耶はそこには居ない。代わりになってくれる人など居るわけがなかった。 「お兄ちゃんは一人しかいないから」 だから寂しいのだと葵が訴えれば、冬耶はなぜか少し驚いた顔をして、そしてくしゃりとした笑顔を浮かべてきた。泣きそうな、それでいて嬉しそうにも見える不思議な微笑みだった。 「そうだな、あーちゃんのお兄ちゃんは俺だけだもんな」 当たり前の事を噛み締めるように口にする冬耶はやはり少し様子がおかしい。なぜだろう。葵が考え始める前に、冬耶が荷物ごと葵を抱え上げてしまうからそれ以上追及することができなくなってしまった。 「玄関まで送るよ」 「……もうちょっと、ダメ?」 「皆が待ってるから」 まだ外はオレンジ色になりかけている程度。もう少し冬耶と居たいと訴えたのに、強制的に玄関まで運び出されてしまえば葵には抵抗する術がない。でも”お兄ちゃんだって寂しいんだよ”、そう周りに聞こえないよう囁いてくれるから、葵だけが甘えたがっているわけではないと知って安心させられる。 葵が冬耶との別れを惜しむ間、皆はすでに靴を履いて玄関を出てしまっていた。早く行かなくては、そう思うのにスニーカーの紐を結ぶ手は止まりがちだ。

ともだちにシェアしよう!