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act.5三日月サプリ<124>

「結ぼうか?」 「……大丈夫」 葵がどうして上手く靴を履けないのか、その理由もきっと冬耶は見透かしているはずだ。でもこれ以上冬耶を困らせてはいけない。ようやく紐をきつく結び直すと、葵は立ち上がって冬耶へと向き直った。彼が靴を履く気配を見せないということは、ここでお別れのつもりなのだろう。 「お兄ちゃん、いってきます」 さよならやバイバイは言いたくなかった。自分が帰る家はこの家なのだと、そんな気持ちもあって葵はごく自然にそう口に出していた。 「いってらっしゃい、あーちゃん。一応、今夜も薬飲んで早く寝るんだよ」 「もう治ったよ?」 「だめ、薬で熱下げてるだけだから。治ったって言わないよ」 葵自身すっかり忘れかけていたことをきちんと指摘してくるあたり、やはり彼は”兄”らしい。叱るようにツンと額を突いてくる冬耶はにこやかだけれど、有無を言わさぬ強さがある。だから葵は大人しく頷き、もう一度だけ冬耶を振り仰ぐと安心させるように葵からも微笑んでみせた。 葵が玄関を出ると、皆は門の外で葵を待ってくれていた。でもそれぞれがどこか不思議な表情を浮かべている。笑っているのだが、呆れていたり、苛立っていたりするようにも見えるのだ。初めは自分を待ち侘びていたからだと思ったのだが、どうやら違うらしい。 答えは門を出た葵に奈央が無言で差し出してきた白い紙袋の中にあった。袋自体にはロゴもイラストも入っておらず、中身のヒントになるようなものは何もなかった。でも奈央は葵に悪戯を仕掛けるような人物ではない。葵は少しだけ不安になりながらも、その袋を受け取り、中を開いてみた。 袋の中には柔らかな青色のラッピングが施された小ぶりなブーケが一つ、入っていた。そしてそのブーケに結ばれたリボンにメッセージカードが差し込まれている。 「……これは?」 「門に掛かってたんだ。来たなら顔ぐらい出せばいいのにね」 奈央に問いかければ彼はやはり呆れた顔をして肩をすくめてみせた。でも心なしか嬉しそうに見えるのは葵の勘違いではないだろう。 “またデートしてください” ただその一言だけが記されたメッセージカードには送り主の名前は記されていない。でも奈央の反応で葵は幸樹だと確信した。彼と初めて二人きりで出かけた先で何があったのか、今日宮岡のおかげで思い出したばかりだ。謝りたい、そう思っていた矢先に、彼がこうして歩み寄ってくれたことを知るとそれだけで胸が一杯になってしまう。

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