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act.5三日月サプリ<129>

「だからさ、お前も一回会ってみたら?悪い奴じゃねぇと思うし」 都古が京介からもたらされた言葉の意味を理解するのに少し時間を要した。理解しても尚、困惑させられる。京介が向ける視線の中に憐憫の色が見えたから余計に、だ。 「……どういう、意味?」 「どういうって言われても。葵は話してすっきりしたみたいだし、お前もどうかなって」 恋敵であるというのに都古に対していつもお節介な彼のことだ。彼の提案に悪意が無いことは分かっている。だが、自分の身に何があったのか赤の他人に話すことを想像しただけで苦いものが込み上げてくる。 「俺は何も、ない」 カウンセリングを受ける必要などない。そう主張するために告げた言葉は京介の表情を更に難しくさせた。だが都古に掛ける言葉はまるで子供を諭すかのように、慎重に紡がれる。 「葵に”嫌なことは忘れろ”ってずっと言い聞かせてきたけど、多分それは間違いだったんだと思ってさ。無理に忘れようとしても歪みが出てくるっつーか」 「……じゃあ、思い出せって?」 京介へと返した言葉は、都古が自分自身で意図した以上に棘があった。温かな両親の元に生まれ、弟思いの兄がいて、葵も居る。都古からすれば随分と幸せな人生を歩んでいる京介に諭されることに憤りを感じてしまうのだ。 「俺は、全部忘れた。忘れたいから、忘れた」 京介が分かるわけがないし、分かられたくもない。そんな気持ちを込めて言い返した声は葵達の耳にも入ってしまったらしい。こちらの不穏な空気を察して不安げな目を向けられているのが分かる。 「悪い、余計なこと言ったな」 「……二度と、口出してくんな」 頭に血がのぼっている状態でこのまま彼と居たら葵の目の前であっても京介に手を出してしまいそうな気がした。だから都古はそう言い残して寮のエントランスを後にした。 背中から葵の呼ぶ声が聞こえるが、今は主人の呼びかけにも応じて戻ることは出来なかった。 先程まで夕焼け色だった空はいつのまにかすっかり夜の色に様変わりしていた。とはいえ、寮から校門、校舎や中庭、グラウンドに向かって伸びる道にはそれぞれ街灯が設置されているおかげで暗さは感じられない。 ひとまずエントランスから彼らが立ち去るまでの時間をどこかで潰し、頭を冷やそう。そう決めた都古は芝生の広がる中庭を目指すことにした。だが、暫く進んだところで後ろからパタパタと控えめな足音が近付いてくることに気が付いた。あの状況で誰が都古を追ってくるか、なんて考えなくても分かる。 中庭に足を踏み入れたところで都古が振り返ってみせれば、追跡者はなぜかクマの形をしていた。いや、クマのぬいぐるみを抱えてとっさに身を隠した、という表現が正しい。後を付けていたことがバレていないと思っていたことが驚きだ。

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