646 / 1633

act.5三日月サプリ<130>

「アオ?何やってるの」 「……バレちゃった?」 ぬいぐるみの影から顔を覗かせた葵は悪戯っぽく笑っていた。でもそれ以上都古には近付いては来ない。京介が何と伝えたか分からないが、都古が飛び出してきたことで少なからず都古の気分が害されていることは察しているのだろう。踏み込んでいいのか戸惑っていることが容易に想像できる。 「散歩、する?」 「うん!」 だから都古からこうして誘いを掛けてようやく葵が駆け寄ってきてくれた。葵が相手ならば拒絶することなど無いというのに、それを理解してもらえていないのが歯がゆい。 散歩と言いつつ、一日遊んで少し疲れが滲む顔をしている葵を連れ回す気はない。中庭の真ん中を陣取る一際大きな桜の樹の下へと葵を誘導すれば、葵は都古との間にクマのぬいぐるみを置いてみせた。 「これ、可愛いでしょ?」 葵は先程のことなど無かったかのように無邪気にぬいぐるみを見せびらかてくる。葵の上半身をすっぽり隠せるほどの大きさのそれは確かに葵好みのフォルムをしていた。 葵の実の父親からぬいぐるみの贈り物があったことは都古も伝え聞いていた。恐らく目の前で脳天気な顔をしているクマがそれなのだろう。葵の様子を見ればクマが抱える因縁を理解しているとは思えない。だから都古も知らぬフリをしてやらねばならなかった。 「アオ、俺のことも、ぎゅってして」 ぬいぐるみ越しに葵にねだれば、すぐに葵が両手を広げてくれる。自分よりもずっと小さな体なのにその腕に包まることで心の底から安堵出来るから不思議だ。 薄い胸に頬を寄せるとトクンと小さな鼓動が聞こえてくる。葵が湖に飛び込んだあの夜から、いつかこの鼓動が聞けなくなってしまう日が来るのではないか。そんな悪い予感に苛まれてしまっていた。だからこうして体を触れ合わせて初めて心を落ち着かせることが出来る。 「京ちゃんがごめんって言ってたよ」 都古が平静を取り戻し始めたことを察してか、葵がようやく先程の出来事を口にした。声音も、都古の髪を梳いてくれる手も蕩けそうなほど優しい。 「頭の中、全部、アオにしたい」 京介とのやり取りを蒸し返す気にはなれず、都古はただ己の願望を吐露した。忌まわしい記憶など全て葵との思い出で塗り潰してしまいたい。人には笑われるだろうが、素直な願いだった。

ともだちにシェアしよう!