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act.5三日月サプリ<163>

「私には分かりかねます」 穂高がそうとだけ告げ整頓を終えたキャビネットの扉を閉めれば、椿はつまらなそうに溜息を零した。だがお喋りはまだ終わらない。椿は矛先を穂高自身に向けてきた。 「ねぇ、アンタが一回りも年下の葵に忠誠誓ってるのはなんで?初めてのご主人様だから?」 椿のどこか嘲笑めいた口調で問いかけてくる。確かに穂高が未だに葵を第一の主人として振る舞っていることは傍から見れば馬鹿らしいことなのかもしれない。 「何年も会ってないのに?ていうか、葵、アンタのこと覚えてんの?馨のことすら危ういのに」 椿はその言葉がどれだけ穂高の心を抉る凶器になり得るか知らないのだろう。普段は感情的にならないよう努めている穂高は思わず彼の挑発に乗るように口を開いてしまった。 「篠田さんはどうなのですか」 「……どういうこと?」 「そもそも、お坊ちゃまは貴方をご存知なのでしょうか?」 初めて椿の声色が変わったことに気付き振り返ると、彼はやはり先程までの飄々とした態度を引っ込めてただ不愉快そうに眉をひそめていた。 「私はお坊ちゃまに辛い記憶を与えてしまいました。出来ることならその記憶ごと私の存在を消してしまってほしい、そう願っています。ですから忘れて頂いているのなら本望です。貴方は、どうなのですか?お坊ちゃまが貴方を兄として求めるとお考えですか?」 追い打ちをかけるように穂高が毅然と言い返した上で、質問を繰り返した。これが彼の弱点なのだと分かっていながら責めるのは意地が悪いとは思うものの散々煽ってきた彼が悪い。穂高からすれば椿ですら随分と年下の存在。ただの子供でしかない。これを機に大人をからかってもロクなことにならないと学習してほしい。 「それでは、失礼します」 何も言い返さない椿に最後にそう言い残して穂高はこの場を立ち去ろうとした。だが、ソファからようやく腰を上げた椿が脇を通り抜けようとした穂高のスーツを乱暴に掴んでくる。どうやら穂高の一言が椿を大きく傷付けたらしい。 「葵が俺のことを忘れるわけがない」 「……そうですか」 椿の主張は穂高にとっては無意味に等しかった。だが、穂高があしらっても尚椿はまるで自分に言い聞かせるように言葉を紡ぎ続ける。 「偽物のせいで葵は混乱しているだけだ」 椿の悲痛な訴えを聞いて、穂高は彼が西名家へと抱く歪んだ感情の真意に触れた気がした。 宮岡の情報が正しければ、葵が最も心に傷を負った時に傍に居たのは椿なのだろう。そして椿もまた母親を失って孤独に震えていた時期だったはずだ。彼が弟である葵の存在を唯一の心の拠り所にしてもおかしくはない。そんな葵を西名家が連れ出してしまえば、また唐突に家族を失ってしまったと認識するのも無理はない。 葵が幼少期の呪縛に捕まっているのと同様、椿もまた幼い日の記憶に苦しめ続けられているのだろう。そう考えると、時折子供っぽさを滲ませる椿の言動にも合点がいった。

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